令和二年九月吉日、茨城県結城市の諏訪神社に参拝しました。
御由緒
大永七年(1527)信州本社より分社
文化八年(1811)現本殿建立
御祭神 建御名方神
彫師 竹田重三良義道
ここへ着いた時はもう朝7時を回っていたのですが、この日は曇り空でまだ屋内は暗いです。なので、キャンプで使うLEDランタンを使用。
虎の木鼻は珍です。
左面胴羽目は飲んでも飲んでも酔わない人間ではない生き物・猩々。
背面胴羽目は相生の松の精霊・高砂の翁と嫗。
右面胴羽目は唐代中期の高僧で詩人の寒山と拾得。
彫師は結城住の竹田重三良義道。調べていたら、結城の彫工竹田氏による下総村社の彫刻という論文を見つけました。
この論文によると、重三良は地元では壁面いっぱいに構図を取るが、現場が遠い場合には居所で彫って現場で合わせる為に余白を設けた、と考察しています。確かに、たまに余白のある胴羽目を見掛けますね。
千葉県白井市の富塚鳥見神社↑もこの人です。結城市の諏訪神社から富塚鳥見神社まではグーグルマップで調べると55kmで徒歩11時間半。
なるほど、もっと遠ければ道具一式運んで住み込みでって事になるかも知れませんが、55kmはそれ程遠くはないけど寸法を取りに何回も通いたくはない、微妙な距離かも知れません。もしかすると現場合わせは本人じゃないのかも。
今は55kmなんて通勤圏内ですけど、この頃は徒歩か良くて馬ですからね。昔の人には頭が下がります m(_ _)m
それから、今私があちこちの神社へまわれるのは現代文明のお陰なので、現代の人にも頭が下がります m(_ _)m
刺青師・龍元
217(2020.10.06)
コメント
onijiiです。
論文書いた方はよく調べたもんですね。
感心します。(笑)
自分もあちこちの寺社を回りながら、
移動手段が徒歩だった時代に、よくぞ
こんな遠くまで彫刻をしにきたもんだ
なあと感心してます。
長い階段、山の上もあるし・・・。(笑)
論文書く人たちは改修工事に立ち会ったり、古文書調べたりして、一つの物に対する食い付き方も時間も違うのでしょう。さすが専門家です。
昔は電ノコも電ドルも無いですしね〜。気が遠くなります。