令和三年九月下旬、栃木県益子町の獨鈷山普門院西明寺に参詣しました。
御本殿
天平九年(737)草創
元禄十四年(1701)本堂改修
御本尊 十一面観世音菩薩
内外陣境欄間には彫り物がありました。
左側の欄間は、前漢の旅行家であり外交家の張騫。黄河を遡ってその源流を突き止めた、とか、天の川を遡って牽牛・織女に会った、という伝説が残ります。
中央は天女。
右の欄間は費長房。
費長房は経巻を持って鶴に乗る姿が描かれる事が多い様です。ウィキペディアには「壺公に就いて深山に入り修行する(中略)最後に3匹の虫が蠢く臭穢な糞を食すよう求められて遂に上仙を断念(中略)地上の鬼神を支配出来る1巻の護符を授かって帰郷する」とあります。
外陣は外から見えますが、内陣拝覧は300円との事。
閻魔堂
正徳4年(1714年)建立
寛穂3年(1743年)再建
中央の格子部分から中を覗くと、笑う閻魔さまと二体の脇侍が見えました。
なかなかユーモラスな閻魔さまです。
閻魔大王は地蔵菩薩の化身なので、向かって左には地蔵菩薩の脇侍の掌悪童子。無明を降伏させるのが役目なので、名前に悪という字がありますが、悪い人ではない様です。
その奥には奪衣婆がいます。中は薄暗く、この時は「あれ?居ないのかな?」と思って写真は撮りませんでした。
向かって右には掌善童子。法性(仏心)を育てるのが役目です。どっちかって言うと、こちらの方のほうがワルに見えますね。「ヌシもワルよのう」
その奥にいるのは地蔵菩薩の様です。
机にも彫り物がありました。
波間に唐子と蛇(龍かも)の胴体。
中程には天女の様な女性が二人、向かい合っています。
蛇の胴体の頭はこの人達なのでしょうか?“蛇の胴体で頭が女性” というと、妖怪ヌレ女しか思いつきませんが、流石にお寺でそれは無いですね。
元々は綺麗に彩色されていた様です。
ここを訪れたのは夕方四時チョット前。後で調べたら16時まで、という事だった様です。観光寺院なのに人が全然居ないな〜とは思ったんです。
刺青師・龍元
131(2021.10.23)
コメント
onijiiです。
こちらも先日再訪しました。
もちろん奪衣婆が目当てでした。
チェックするきっかけになりました。
机の彫物は小さいので、よく分からず。
写真を見てなるほどと。
女性、唐子、蛇身だったのですね。(笑)
笑い閻魔は元々、怖い顔を彫ったつもり・・・?
でも笑っているような顔に・・・。
単なる想像です。(笑)
暗がりにある物や小さい物は後で写真で気付く事が多いですよね。
奪衣婆は後で写真を見返して「ああ、ここに居るじゃん」と後悔しました。
私も怖い顔のつもりで彫ったのだと思います。
でもそのおかげで観に来る人が沢山いるのですから
何が吉と出るかは分からない物ですね。