令和三年十一月中旬、山梨県北杜市の勝手子安神社に参拝しました。山梨県の神社は二年半ぶりです。
参道階段の途中でなんか大変な事になっています。
この石段を使う人は居ないと思います。
鳥居は多分、建て替える時に位置をずらしたんでしょうね。
隋神門がありました。
右大臣。虚な目が怖いです。
左大臣。右大臣は左手、左大臣は右手が欠損しています。
門をくぐって進むと更に階段があります。
左手に舞殿、正面に拝殿があります。
天平宝字元年(757)創建
享保五年(1720)大洪水によって社殿流失
享保十五年(1730)現社殿再建
御祭神 彦火瓊々杵命 木花咲耶姫命
裏へ廻ります。
立派な御本殿です。300年近く前の造営の様です。
兎ノ毛通しには鶴、唐破風下には亀の彫り物があります。
脇障子は鯉の滝登りです。
胴羽目は翔鶴。
背面へ廻ります。
背面胴羽目も鶴です。彩色がだいぶ傷んでいます。
左面に廻ります。
妻部分には大瓶束の代わりに大きな蟇股があり、鳳凰が彫られています。
こちらは北面だからか、比較的彩色が綺麗に残っています。
脇障子の魚は鯉だと思いますが、マグロか何か他の魚に見えます。
向拝中備は控え目。木鼻の獅子は独特な感じです。
扉は少し引っ込んでいて、脇板には登り降りの龍が彫られています。〜追記(2021.12.08)よくみたら降りの龍はありませんでした 追記終わり〜
この日は天気が良くて最高の寺社巡り日和でした。
刺青師・龍元
154(2021.12.07)
コメント
onijiiです。
再建当時はかなり見ごたえがあったでしょうね。
自分は随身像の不気味さに目を奪われますが。(笑)
胴羽目は一見派手に見えると思いますが、過飾との
とらえ方は違うでしょうね。
祈るしか術がなかった時代背景なので、深い信仰の
拠り所として大事にしてきたのだと思えますね。
随身像の右手首と左手首が無いのも不気味ですよね。
今の彩色は後世のものでしょうが、建てたばかりの時もさぞかし豪勢だった事でしょう。
今はネットで調べて外部から訪れる好事家がいますが、2、30年前までは近所の人や氏子さん達しか訪れる人も無かったと思われる様な立地ですね。ひっそりと三百年もここに建ってたんだなあと思うと感慨深いです。