令和二年十月、東京都あきる野市の雨武主神社に参拝しました。
一の鳥居をくぐって直ぐに二の鳥居。なぜかこんな所に賽銭箱が。
すぐにその訳を知る事になります。
長い階段!数えた訳ではありませんが、調べると196段あるとの事。階段を登れない人の為に下にも賽銭箱があるのでしょう。
因みに、すぐ近くを流れる秋川を挟んで反対側には、橋の無い時代にここまで来られない川向こうの住人の為に、遥拝所というのがあります。どこまで参拝者に優しい神社なのでしょう。
私はロクに確認もせず、最初はそっちに行ってしまいました。
長い階段を登ったからという訳ではありませんが、この時は集中力が切れてしまって、拝殿の写真を撮るのを忘れました。参拝しなかったのではありません。
御由緒
天正年間(1573~92)創建と伝えられる
嘉永二年(1849)現本殿建立
御祭神 天御中主命 他三柱
彫師 後藤三次郎橘恒俊
御本殿は三間社流造。向拝には梅の木です。珍ですね。
海老虹梁も珍です。上が雲で、下が波。その間が雨を表しているのでしょうか。
なんじゃこりゃぁ!と声に出してしまいそうになりました。妻飾りには何か変な顔があります。実際には暗くて肉眼では見えません。
胴羽目は虎を連れた巨霊人。私は虎仙人に滝がある場合には巨霊人、無い場合には董奉と判断しています。
三間社なので、背面には羽目板が3枚。
左側は老婆に詩を聴かせる白楽天、またの名を白居易。唐代の詩人・白楽天は詩が出来ると街に出て道行く人に詩を聴かせ、その反応で良し悪しを判断したそうです。
↑机の上には彫師・後藤恒俊の銘があります。が、ハッキリ写った写真はありません。案内板に書いてあるのを読んで知ってたのに、この時はどうも集中力が切れてて。。。言い訳です。
因みに後藤恒俊というのは、後藤家五代後藤茂右衛門正綱の筆頭門人で、後藤義光や高崎の北野神社の彫師・後藤恒徳の師匠だそうです。 〜追記(2021.05.14)後藤茂右衛門というのは初代も五代も正綱の様です。紛らわしいです。追記終わり〜
真ん中の胴羽目は西王母。
左側胴羽目は李白観瀑図。
左面胴羽目は林和靖。
右面。
この日はどうも集中力が途切れ途切れになってしまっていて、まだ昼過ぎでしたが、車で大事故を起こさない内にと思って、ここで切り上げて帰りました。
彫り物は個性的で状態がすごい良かったのに写真はイマイチだったし、近い内にぜひ再訪したいと思います。
〜追記(2022.04.13)再訪しました
刺青師・龍元
258(2020.11.16)
コメント
onijiiです。
人面?のようなもの、ありがとうございます。
これはお得意の珍ですね!(笑)
珍なもの、ワケの解らないものには惹かれますね。シビレます。