令和二年八月吉日、東京都東村山市の秋津神社に参拝しました。
東村山市と言えば、先日亡くなられた志村けんさんの故郷ですね。私も小学生の時分には何処にあるのかも分からず「♩東村山〜♫」と歌ったものでした。ご冥福をお祈り致します。ダッフンダー!合掌。
御由緒
天授年間(1315~81)創建と推定 諸説あり
文政五年(1822)現本殿再建
明治二年(1869)秋津の不動と称されていたが、秋津神社と改称 祭神を日本武尊に改めた
祭神 日本武尊
窓には金網入りガラスが入っていました。
御本殿左面
錺金具がピカピカです。これは定期的に取り替えてるのか、磨いているのか。
胴羽目の鶴仙人は頭の形から言って「福禄寿」ですね。比較的大きな御本殿なので、上の方は如意棒を使って撮影しますが、手が届かないのでガラスを拭く事が出来ません。今度からモップを持参するか。段々おかしな風体になって行くゾ!
腰羽目と木階の間には「鯉の滝登り」がありました。
御本殿背面
脇障子は「鶏」。牡丹と松と竹が一緒に彫られています。裏からも表からも見える構図の様です。可愛いひよこもいます。
胴羽目は「司馬温公の甕割り」。瓶に落ちた友人を助ける為に躊躇いもなく高価な瓶を割った、司馬光という北宋代の政治家の幼少時の逸話です。どんな高価な物でも命に勝るものはない、という意味だそうです。当たり前っちゃ当たり前ですが、世の中は案外そうでもないんだ、と思わせる案件を見聞きしますね。
こちらの脇障子は「鶏のお尻」。
御本殿右面
胴羽目は「西王母」。天上界きっての偉い人ですね。三千年に一度成り、食べると不老不死になれるとも仙人になれるとも言われる蟠桃という桃を武帝に献上したそうです。
蟠桃園の番人をさせていた孫悟空に桃を食い尽くされてしまった事があります。
西王母は、元々、鬼神・死神の類であり、蟠桃とは「人間(の命)」のことだとも解釈できる、とウィキペディアにはあります。怖いですね。→https://ja.wikipedia.org/wiki/蟠桃会
縁下も彫り物で埋め尽くされています。
海老虹梁はあっさり目。松の木です。
柱や梁などもびっしりと隙間なく地紋彫りが施されていて、こりゃあお金が掛かったでしょうね。
かなりの手練れの作だと思われますが、彫師不詳の様です。1822年現本殿再建というと約200年前の彫り物という事になりますね。今年が明治152年なので、明治維新の約50年前の彫り物か。
刺青師・龍元
184(2020.09.01)
コメント
onijiiです。
胴羽目の達人さんの字に驚きました。(笑)
ヒヨコやお尻、作者の遊び心がいいですね。
中国故事の解説で、作品が理解し易いです。
ありがとうございます。
技術や巧さだけでなく遊びも重要ですよね!
図柄の背景は知れば知るほど面白くなりますね。
私が子供の頃は、西遊記は誰でも知ってる話で、ドリフや堺正章のTVドラマは欠かさず観てましたし、原作本もかなり長い本格的な本を図書館で借りて読んでました。
西王母の事を実は小さい頃から知っていた、という事を知った時はシビレました。
ところで胴羽目の達人さんの字って何ですか?
onijiiです。
師と仰がれている方の字です。うふふ。
恥ずかしながら、この歳になるまでこの字に
接する機会がなく、知りませんでした。
勤務先の同僚に何て読むか教えてもらいました。(笑)
ああ、なるほど。
この字はこれ以外には使いませんからね!
本名を組み合わせるとこの字になるそうですよ。
生まれついての胴羽目の達人ですよね!