令和三年新年巡礼十八社目、茨城県稲敷市の大杉神社に参拝しました。
ここは安穏寺の隣。鳥居が通り側にあって、脇の道路を入った神社の裏側に駐車場があります。
鳥居をくぐると門があって、時節柄でしょうか、柵で入り口と出口が仕切られていました。
五日なので、それ程混んでいる訳ではありませんが、まあまあ人がいます。
拝殿向拝。いくら待っても拝む人が絶えなかったので、人が入れ替わる瞬間に横からパシャり。
神護景雲元年(767)創建
文化三年(1806)社殿再建起工
文化十三年(1816)遷座
平成十八年(2006)復元修復
御祭神 倭大物主櫛甕魂命
彫師 磯辺義左衛門信秀 磯辺儀左衛門信秀 島村圓鉄
調べると彫師の磯辺義左衛門信秀というのは名門・磯辺家の創始者の様です。竹田藤重郎の弟子で二代目・義左衛門と初代・磯辺儀兵衛の師匠。もう一人の島村圓鉄は有名ですね。
〜追記(2021.10.11)四代目も磯辺儀左衛門信秀という初代と同じ名前を使っていて、ここは年代的に四代目の仕事だそうです。shunasoraさんにご指摘頂きました。う〜ん、彫師の系譜はまるで樹海の様に複雑ですね。追記終わり〜
稲敷市の公式サイトによると圓鉄が透塀欄間と縁下腰組間の彫り物、その他の彫り物を初代・義左衛門 名工・磯辺儀左衛門が制作、となっています。
向拝の木鼻は激レア霊獣・獬豸です。今までに一社だけ埼玉県の浅間神社で見た事があります。麒麟形獬豸です。
手挟みでは兎が鷹に狙われています。手間の掛かった彩色です。龍は金色。
御本殿左面。胴羽目彫刻は無しです。
妻飾りには霊鳥の鳳凰。
大虹梁上には麒麟が二頭。なかなか良い色に仕上がっています。
脇障子は滝と虎で巨霊人。脇障子は出っ張っているので、風雨に晒されてどうしても劣化が早いみたいです。
裏側。
縁下組物の間には謎の彫り物がありました。稲敷市の公式サイトを見ると「海獣背乗仙人」と出ていました。でも、ただ単に神社でそう言い慣わされているだけっぽい響きです。
↓これは調べても出てこなかったのですが、大杉神社風に言うと「牛背乗仙人」。あくまでも私が勝手に考えた名前です。
御本殿背面。
残念な事に裏側へは回れない様になっていたので斜めから。
↓神社風に言うと「大蟹背乗仙人」。
↓こちらは稲敷市の公式サイトによると「天の邪気足踏仙人」。う〜ん、この説明っぽい名前はやっぱり昔から神社で言い慣わされて来ただけっぽい。
↓こちらは私が勝手に「大海老背乗仙人」と名付けました。
正面から見られなかったのは残念!
次回 [大杉神社 其の二 透塀欄間] に続きます。
刺青師・龍元
018-01(2021.02.01)
コメント
onijiiです。
2年ほど前に行った時は、けばけばしい感じでしたが、
だいぶ落ち着いてきましたね。
カイチは知りませんでした。
鯉と鶴以外にも、いろんな仙人さんがいるんですね。
再訪してみたくなりました。
もちろん天の邪鬼目当てです。(笑)
ここの仙人は珍しいですね。
本当に色々な仙人がいるものです。
天の邪気足踏仙人は是非正面から見てみたいですね。
カイチは獅子と麒麟が混ざった様な体です。
一見麒麟なので、見逃しているだけで、
案外アチコチに有るのかも知れません。
綺麗な写りと構図の写真と題材の説明は、いつも参考にさせていただいております。
この社殿の彫刻師の一人、磯辺儀左衛門信秀(細かいことですが、儀はニンベンありです)は、初代の信秀ではなく、年代的に4代目(兄である3代目が名跡を辞したため4代目となるが、後に3代目を名乗る)の方です。4代目も「磯辺儀左衛門信秀」を名乗っていて(千葉県佐原市の観福寺本堂に「磯辺信秀 行年46歳」の銘を残しています)、他に「磯辺儀左衛門凡龍斎信秀」とか、信秀ではなく幸次郎、歳重と名乗ることもありました。この社殿は文化年間の仕事ですので、40〜54歳の頃ですね(生年が明和2年(1765年)なので)。
shunasoraさん、コメントありがとうございます。
なるほど、四代目なんですね。
ニンベンの有無はどっちなのかな、とは思った事がありますが、義兵衛ニンベン無しの銘を見た事が有ったので、儀左衛門もニンベン無しと勝手に決めてました。
ご指摘ありがとうございます。訂正致します。
m(__)m