令和八年一月下旬 栃木県佐野市の安蘇澤神社に参拝しました。

天明七年(1787)社殿建築
御祭神 別雷神

御本殿覆屋は密閉型ですが 大きな素通しのガラス窓があり 左右面については鑑賞に問題はありません。

立派な御本殿がありました。

正面扉脇の龍です。

技巧に走らず 素朴な感じの彫り物です。

脇障子には仙人っぽい人がありました。風体からすると寿老人っぽい感じですが 決め手に欠けます。

彫刻の状態は非常に良い様です。ガラス窓の密閉型覆屋になったのは比較的最近の事だとしても 建設当初から雨ざらしになった事が無いのかも知れません。

胴羽目は李白観瀑。

唐代の大詩人李太白が 四方に浮遊して自然の大観に接し 瀑布に臨みて詩懐を行るの境を図せるものなり (『画題辞典』斎藤隆三)

望廬山瀑布
日照香炉生紫煙
遥看瀑布挂長川
飛流直下三千尺
疑見銀河落九天

「廬山の瀑布を望む」
日は香炉を照らして 紫煙を生ず
遥かに看る瀑布の 前川に挂かるを
飛流直下 三千尺
疑うらくは是銀河の 九天より落つるかと

「ひゃあ 先生!すごい!」

唐代の大詩人は童子がお好き。

背面には窓が無かったので斜めからの鑑賞になります。

胴羽目は 巻物と箒を持った二人 という事から考えて これは寒山拾得だと思われます。

寒山と拾得は唐代中期の二人の高僧。二人とも奇行が多く 詩人としても有名です。

拾得は天台山国清寺の食事係をしていたが 近くの寒巌に隠れ住み乞食のような格好をした寒山と仲がよく 寺の残飯をとっておいては寒山に持たせてやったといいます。

この二人は文殊菩薩・普賢菩薩の生まれ変わりともいわれます。

左面胴羽目は菊慈童。

慈童は穆王の寵愛を受けますが 官人の妬む所となり過失を咎められ深山幽谷に流刑になります。

哀れに感じた穆王は偈(仏を讃える詩)を与え 慈童は忘れないように それを菊の下葉に記しました。
その菊の葉の露は谷の水に滴り 病気が治る霊泉となって麓の村へ流れました。

800年後 霊泉の調査にやって来た勅使が 少年の姿をした慈童を発見します。

慈童は菊の露を飲んで不老不死の仙人になっていたのです。

脇障子。右側の仙人が寿老人だとすると これは弁財天という事になりそうですが 決め手がありません。

正面扉脇の龍。

窓の内側が綺麗な事が前提ですが 保存と鑑賞の兼ね合いを考えると ガラス窓付密閉型覆屋が1番ですね。

写り込み対策も考えなければいけませんが。ここの窓ガラスは綺麗でした。
刺青師・龍元
026(2026.04.29)

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