令和七年五月中旬 群馬県前橋市の総社神社に参拝しました。其の一からの続きです。
元和二年(1616)現本殿再建
天保十四年(1843)拝殿再建
彫師 小林源太郎
身舎には梅と竹の画が描いてありましたが 左右脇障子の裏表には彩色彫刻がありました。

現本殿は1616年再建となっているし 作風も違う様に見えるので 御本殿の脇障子は源太郎ではないのでしょう。後付けの可能性もありますが 本当の所は私には分かりません。

画題は何でしょう?

日本の話の様ですが 分かりません。

怖いです。

背面に廻ります。御本殿の脇障子も裏表両側に彫り物がありました。
裏側の これも何だか分かりません。

これも日本の話の様です。

崇徳上皇が流される所とか?菅原道真が流される所とか?住吉明神はもっとお爺さんですよね?

という訳で分かりません。今後の課題とします。
背面の身舎には大きく 松の木が描いてあります。

左側脇障子の裏側。

これは自信を持って言えます。そうです 因幡の白兎です。

鰐鮫を騙した仕返しに毛を剥がれ 泣いていた所を さらに 悪い神さま達に騙されて 傷口に海水を塗り込んでしまった兎。

鰐鮫に毛を剥がれたのは 全くの自業自得ですが 良い神さまの大国主命(大己貴命)に出会えたのは本当に良かった。「水で洗って 蒲の穂の上に寝転がっていなさい」と教わります。

幼い頃 神さまには 良い神さま悪い神さまがいるのだ と知ってぶっ飛んだものです。

表側に廻ります。

これは何だか分かりません。

ひょっとしたら悪い神さま達?

確かに悪そうではあります。

裏表で一つの話なのか? だとしたら右側脇障子も裏表でセットだったのかも。

こちらも身舎には梅と竹の画が描かれています。

拝殿左側に廻ります。

武人が二人。

拝殿脇障子表側は左右でセットになっているっぽいので これは右脇障子裏側とセットになっているのかも知れません。が 服装髪型が異国風なので違うかも知れません。いずれにしても 画題不明です。

いよいよ真打登場 左側脇障子の表側です。

これは神功皇后の三韓征伐で間違いないと思います。

朝鮮出兵の神託を受けた神功皇后は 崩御した仲哀天皇の子供を宿していた。



お腹に石を巻いて出産を遅らせて 龍宮より授かった宝珠で三韓を征討。



残念ながら こちらも物が置いてあって 正面からは見られませんでした。

胴羽目彫刻が無いのは残念でしたが それを補って余りある素晴らしい彫り物を拝観出来ました。
刺青師・龍元
061-02(2025.09.20)
コメント
onijiiです。
鮮明な写真ありがとうございます。
小林源太郎の彫刻は、群馬県内に
10ヶ所以上あるようですね。
いつの日か巡りたいと思ってます。
10ヶ所以上ありますか。
拙ブログをザッと検索掛けてみたら、六社参拝していました。まだまだ回っていない所が沢山あって嬉しいです。
源太郎源太郎といっていますが、私の中では岸又八と同じ引き出しに入っているらしく、岸又八のつもりで源太郎と言ったり、その逆だったりする事がよくあります。
まあどちらも名工だし、ただの彫刻マニアの私にはどうでも良い事ですが。