令和六年十二月上旬 群馬県館林市の赤城神社に参拝しました。
拝殿に大きな彫り物はありません。
拝殿内部。
立派な御本殿が鎮座しています。
御本殿覆屋の窓には 先達の仕事の痕跡があります。
先達に倣って 外側は丹精込めて磨きましたが 内側は如何ともし難いです。
それでも なるたけ綺麗に写るところを探します。
右面
右面に胴羽目は2点。
左側は 琵琶を奏でる弁財天です。
市杵嶋姫命と同一視される事もありますが 実はインドのご出身。
何処かを指差す童子をたまに見掛けます。 大抵の場合 何を指差しているのかは不明です。
右側の胴羽目は 恵比寿天。唯一の日本代表です。
扇子を持って 踊っているのかな?
背面
三間社なので 背面には3点の胴羽目がありましたが 窓からの距離が近過ぎて全体は収まりませんでした。
左側の胴羽目は 大黒天。
大黒天は 大抵 何処かのお大尽といった風情ですが 故郷のインドではマハーカーラ(偉大なる暗黒)と呼ばれ かなり恐ろしいお姿。
昔ヤンチャしてたけど 日本に移住してビジネスに成功して 現在はゆったりと構えた社長さん て感じですかね。
童子があやすのは イタチ程の大きさはあろうかというネズミです。
中央の胴羽目は 布袋尊。正確な出身地は不明ですが まあ今の中国のどこかでしょう。本名・釈契此。
この童子は本を広げて 布袋さんに何か尋ねている様な?「お師さん ピザ何にします?」
「マルゲリータとペスカトーレのハーフ&ハーフがいいな」
その隣は 毘沙門天です。こちらもインド出身。
弁財天は弁天さまと言いますが 毘沙門天は 毘天さまとか 毘沙天さまとか言わないのは なぜでしょう?
左面
元々2点あった胴羽目が1点欠損したものと思われます。脇障子も欠損。
胴羽目は 三星(福星・禄星・寿星)の一人 寿老人ですね。
福禄寿と寿老人は同一人物だとか 福禄寿はグループ名みたいな物で 寿老人はその内の1人だとかいう説もあります。
何にしても道教の神様なので 今の中国の辺りのご出身だと思います。
欠損したと思われる右側の胴羽目には 福禄寿か吉祥天がいたのでしょう。
七福神は結成当時は恵比寿天・大黒天・毘沙門天の3人だったとか。竹林の七賢人にあやかって7人になりましたが メンバーチェンジが激しく 現在のメンバーに落ち着いたのは江戸時代。 猩々や達磨さんがメンバーだった事もあったそうです。
私は見た事がありませんが。
刺青師・龍元
100(2024.12.20)
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