令和六年九月下旬 岩手県花巻市の丹内山神社に参拝しました。
丹内山神社 其の一 からの続きです。
承和年間(834-847)創建 大聖寺不動丹内大権現と称す
文化七年(1810)現本殿再建
明治初頭 廃仏毀釈により丹内山神社と改称
御祭神 多邇知比古神 他
御本殿右面には3点の小壁と6点の胴羽目がありました。
数が非常に多いので 便宜的に番号を付けました。
① 何でしょう? 二十四孝 董永
これは何でしょう? かなり欠損してしまっているのでしょうか? 多分 人物がいたのだと思います。
追記(2024.10.24)二十四孝の董永です。右の雲の上には織姫がいたと思われます。左側に微かに残る跡には④のオジさんがピッタリ合う感じです。二十四孝に会いに行く!の小心さんにご教示頂きました。
② 応神天皇誕生
朝鮮出兵の神託を受けた神功皇后は 崩御した仲哀天皇の子供を宿していました。お腹に石を巻いて出産を遅らせ 龍宮より授かった宝珠で三韓を征討。
凱旋帰国した神功皇后は無事に応神天皇を出産します。
応神天皇を抱く 武内宿禰です。
③ どなたでしょう?
なんかニョロニョロしたものが人物に迫っていますが これは波でしょうか?
海の波なのだとしたら これは冲に浮かぶ帆船でしょうか?
島流しになって 望郷の念に駆られている誰か の様な感じですかね。 菅原道真とか?でも梅でなく 松と竹なので違うのでしょう。
④ 何でしょう?
これも分かりません。
多分どこかに もう1人 誰かいたんじゃないかな と思います。
⑤ 養老の滝伝説
孝行息子の源丞内は 山で 足を滑らせ谷に落ちました。
気がつくと そこには酒香のする滝があったので 水筒に汲んで持ち帰り老父に飲ませました。すると老父はすっかり若返りました という話。
すごく良い笑顔です。
⑥ 十牛図の牧牛でしょうか?
十牛図とは 悟りにいたる10の段階を10枚の図と詩で表したもの。それの第五図の牧牛でしょうか?
牧牛とは「本性を得たならばそこから真実の世界が広がるので 捉まえた牛を放さぬように押さえておくことが必要。慣れてくれば牛は素直に従うようにもなる」という意味です。
全く意味が分かりません。
でも背中に籠を背負ってるし 手には鎌を持っているので 牧牛とは違う何かかも知れません。
⑦ 何でしょう? 二十四孝 庾黔婁
だいぶ 損傷が激しい様です。 ところどころ 継いだ跡があります。
双六の台でしょうか?
追記(2024.10.24)祭壇です。二十四孝に会いに行く!の小心さんにご教示頂きました。
木の幹に誰かが寄り掛かっている様に見えたので 拡大してみましたが 違う様です。
追記(2024.10.24)二十四孝の庾黔婁です。頓珍漢な所に注目してしまいましたが、良く見れば左の雲の下に北斗七星があります。二十四孝に会いに行く!の小心さんにご教示頂きました。
⑧ 小野道風
花札でお馴染み 書の神と言われる小野道風。
書の道に行き詰まっていた道風は 何度失敗しても諦めない蛙の姿を見て勇気を貰います。
これだけ見せられたら チョット蛙には見えませんが。。。
⑨ 翁?
能の翁でしょうか? 団子を持って 地団駄踏んでるオジサンみたいですが 持っている物は鈴だと思います。
翁だとすれば 鈴を持っているのは「鈴ノ段」の舞。
刺青で能面を入れる人がいるので 能については目学問としての知識だけで 実際に見た事はありません。
背面
背面に彫り物はありませんでした。
どれも素晴らしい彫り物でしたが こちらの面は上部の小壁の損傷(多分)が残念でした。
対して反対側の左面の状態は 比較的良好でした。次回ご紹介します。
刺青師・龍元
083-02(2024.10.24)
コメント
わーい、龍元さんによる丹内山神社の彫刻解説お待ちしておりました。
私も8月末に行きましたが例によってポンコツ写真ばかりだし、
正体不明の彫刻が多くて悩んでました。
上段は正面中央の高砂っぽいのを除いて二十四孝が多いようですね。
①は董永だと思います。雲の上の天女も董永も不在ですが。
⑦は左の雲の下に北斗七星が見えるので庾黔婁でしょうね。箱みたいなのは祭壇ですね。
④はなんだかわかりません。
でもこの④のおじさんを①の人がいた跡のある場所に置いたら
董永でしっくりくるんですけどね~。
さすが小心さん、これで分かっちゃうなんて凄いですね。
高砂っぽいのを除いた正面の2点と左面の3点が二十四孝だったので、この面も二十四孝かなとは思ったんですがね〜。
④は董永と聞けば、確かにその通りですね。雲の形から織姫の姿が見える様です。
⑦は北斗七星がありますね。全く気が付きませんでした。
まだまだ修行が足りませんね。
ありがとうございます♪