令和四年、野里神社に参拝しました
養老元年(717)毎夜煌光を放つ老樹あり 祠を建て之を祀り 後に妙見として崇敬
明治維新後 近隣の妙見寺と合祀 御祭神を天御中主命とする
明治二十三年(1890)火災により焼失
明治二十八年(1895)社殿再建
御祭神 天御中主命
御本尊 妙見大菩薩
彫師 後藤忠明・後藤善次正明
向拝
兎ノ毛通しの亀 だいぶ傷んでいますね
中備には見事な龍がありました
龍の裏側には「同縣房州北条産 彫工 後藤忠明 男 後藤善次正明」の刻銘
「男」って言うのは「一男」とか「息子」という意味でしょうか?
あくまでも浮き彫りに徹してますね
妙見さまらしく 造りはお寺っぽいです
内外陣境の欄間には見事な彫刻がありました
3枚あるウチの一番右の欄間
ひざまずいて拝謝のポーズの人々
前には宝物
女性がいて 男性が控えています
女性は神功皇后
男性は武内宿禰だと思います
三韓征伐ですね
隣には鳳凰 と見慣れた千社札
左側の欄間は いよいよ ここのお目当て 軍 艦
♪守るも攻むるも ♪ 鋼鐵の〜♪
軍艦マーチが作られたのが明治33年(1900)頃
それの5年くらい前の社殿造営
蒸気船を手に入れて
富国強兵に邁進する日本
当時の世相を よく表しているのだと思います
明治の画題の彫り物は 埼玉県八潮市の八條八幡神社 にもありました
激珍ですね
刺青師・龍元
062(2022.05)
コメント
onijiiです。
おおこれはまさに撃珍ですね!
速攻で行きたい寺社リスト入りです。(笑)
先日のお寺から直線距離で1km無い位の処にあります。セットでどうぞ。
こんばんは。
神功皇后の彫刻、干珠満珠はよく見掛けますが、こちらのものは新羅が降伏している場面でしょうか?けっこう珍しくないですか?中国人が見たら、こんなものは嘘っぱちだと怒り出しそうですが(笑)
私は戦争は日本の黒歴史、消し去りたい愚かだった日本の記憶だと思っています。戦争関係の絵馬はけっこう見掛けますが、正直なところあまり嬉しくありません。蒸気船の彫刻はとても珍しいと思いますが、韓国人が見たら旭日旗は削られてしまいそうですね(笑)
変なコメントになってしまいすみません。
三韓征伐は見てみたいので、遠征の際は寄らせて頂きたいと思います。
こんばんは
三韓征伐の新羅が降伏する場面は、覚えている限りでは、いわき市の御斎所山熊野神社と佐久市の山田神社とここだけですね。
先の戦争を黒歴史と思うのも理解は出来るんですが、有った事を無かった事には出来ないと思うんです。(聞いた事あるセリフ)
古い神社を廻っていると、学校では習わないこぼれた歴史みたいな物に触れる事がありますが、全てが嬉しい事ばかりではありませんね。
明治末以降は太平記など皇国史観に彩られた画題が多くなります。多分、人びとが万歳と湧き上がっていたのも事実でしょうが、日本人ならではの、他人の目を気にしてというのも有ったのかも知れないと思っています。
それから、勝手な推測ですが、質実剛健を旨とするという軍部の目をくぐって、神社を彫り物で飾るには太平記や神功皇后しか許されなかったのではないかとも思っています。
あ、本当ですね。旭日旗について悶着が有るのはもちろん知っています。これは所在地伏せた方が良いですね。
でも、三韓征伐については彼の国は案外無頓着ですね。