令和六年二月中旬 栃木県足利市の下野國一社八幡宮に参拝しました。
天喜四年(1056)勧請
文化十一年(1814)現社殿再建
御祭神 誉田別命 大帯姫命 姫大神
御本殿は透き塀で囲まれています。
拝殿向拝や御本殿の彩色彫刻も なかなかの物ですが 何と言っても左右二点づつと背面三点の計七点ある胴羽目が秀逸です。
右面は二点で 源頼義の湧水伝説。
永承六年(1051)に起こった前九年の役(奥州十二年合戦)の最中ある年の六月 疲れた士卒の喉の渇きを癒すために 源頼義が八幡神に祈念して弓で岩を突いたところ 清水が湧き出した という話です。
立派なお殿様 扇子片手に澄まし顔の頼義です。
〜追記(2024.04.24)岩を突いたのは 頼義ではなく義家という話もある様です 追記終わり〜
本当に嬉しそうな兵卒 法螺貝に水を受けます。
昼夜甲冑を解かない事長きに渡り 士卒は疲れ切っていました。
甲冑を解く 少し位が高そうな人。
清水を見つめる兵卒の この何とも言えない表情が堪りません。
ここで許由は耳を洗ってないし この兵卒は巣父の様な偏屈オヤジではないので 馬も嬉しそうです。
背面は三点で 武内宿禰と神功皇后 龍宮より宝珠を得る 三韓征討の一場面です。
波に浮かぶ 頭に魚を乗っけた龍宮の人たち。
服が派手で明るめの色なのに 顔が彩色されていないので 顔色が悪く見えてしまいますね。
でも 表情をよく観察できるので 顔が塗られていなかったのは むしろ良かったかも知れません。
頭に龍を乗せているのは 龍神かな?
シャクレてます。
この人も シャクレてます。
中央の板には武内宿禰と神功皇后。
博士顔の武内宿禰。
神功皇后はどうも あまり美人ではない事が多い気がします。ちゃんとアイライン引いて眉を描けばキレイになるのかな?
左の板は従者たち。
口をへの字に結んで なかなか忠実そうな従者たちです。
左面です。
馬に乗った武将。背後の木の幹に炎の様な模様がありますが 単に木のうろを赤く塗ってしまった物と思われます。
これと言って決め手がある訳ではないのですが 八幡太郎義家かな?と勝手に判断します。
爽やかに白い歯を見せて ニコリ。
こちらは義家の家臣でしょうか?
大将とは対照的にこちらは仏頂面です。 案外 ぜんぜん違う人達だったりして。。。
〜追記(2024.04.24)胴羽目探知機と異名を取るShin-Zさんから 神社のサイトに彫刻の説明があると教えていただきました。
それによると これは「前九年の役 衣川関の戦い」の場面。
『敗走する安倍貞任を衣川に追い詰め、源義家は敗走する貞任に対し「衣の館は綻びにけり」と和歌の下の句を歌いかけた。それに対し、安倍貞任は「歳を経し糸の乱れの苦しさに」と返した。その歌心に感じて貞任めがけていた「矢」を外し、そのまま引き上げたと云う』 下野國一社八幡宮公式サイトより抜粋
ニコッと爽やかな笑顔をしていたのは安倍貞任で 仏頂面をしているのが義家だった様です。よく見ると確かに仏頂面の侍は弓に矢をつがえています。 追記終わり〜
八幡宮らしい画題の選択だと思います。
刺青師・龍元
039(2024.04.22)
コメント
こんばんは。ご無沙汰しております。
右側の胴羽目彫刻ですが、この神社のサイトに「衣川の戦いの場面」と書かれています。私はこの場面についての知識はありませんが説明が正しいとするならば右側の人物は安倍貞任、左側が源義家のようです。ただ背面の彫刻は「新羅が降伏した場面」と書かれています。文化財一斉公開の時にもそういう説明をされたので、役員と思われる方に間違っていると思いますと説明してきたのですが、わかってもらえなかったのかもしれません。そんな訳で衣川も正しいのかどうかわかりませんので調べてみてください。
ところで足利市文化財特別公開時には拝殿内部まで鑑賞出来るのですが、中には誉田別命誕生や湧水伝説、巴御前と思われる女性の絵馬などが飾られています。八幡宮とは言え、ここまで源氏色が強い神社は珍しいのではないかと思いました。
Shin–Zさん しばらくですね。
神社のサイトに彫刻の説明があるのは気が付きませんでした。
なるほど、左が義家なんですね。調べると、安倍貞任を追っていた義家はつがえていた矢を外して戻って行ったそうですから、彫刻とも一致しますね。
それから神社の説明では西側胴羽目も義家となっていたので、あれ?と思って調べてみましたが、弓で岩を突いたのが頼義のバージョンと義家のバージョンの二つがあるみたいですね。
勉強になります。ありがとうございます。