御本殿彫師は磯辺儀左衛門秀重 (追記あり)[二柱神社 其の二] 栃木県

二柱神社御本殿胴羽目 神社仏閣
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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二柱神社 其の一 の続きです

寛政九年(1797)再建の御本殿です 彫師は磯辺儀左衛門秀重

まず右面から

二柱神社御本殿

3枚ある胴羽目の1番左は 玉巵弾琴ぎょくしだんきん

玉巵弾琴

若く絶世の美女で 一弦の琴を弾き 白龍に乗って四海を飛遊する玉巵は西王母の末娘です

玉巵

この龍を見ると 拝殿向拝も磯辺儀左衛門秀重なのかな と思ったりしますが 私には分かりません

龍
二柱神社御本殿胴羽目

真ん中は唐子の演奏でしょうか

唐子の演奏
二柱神社御本殿胴羽目

右の胴羽目は魚に乗った仙人

子英

魚の頭が龍の様に棘ばっているので これは子英仙人でしょう

子英仙人

脇障子は童子を伴った杖仙人  どなたかは不明です

仙人

背面にも胴羽目が3枚

二柱神社御本殿

左の胴羽目は 馬師皇ばしこう

馬師皇

師皇は馬の医者でしたが その名声が天にまで届いて 龍が診て貰いに来た と云われます

馬師皇仙人
二柱神社御本殿胴羽目

その隣は 孔子懐妊 または 麟吐玉書りんとぎょくしょ もしかしたら 上元夫人

孔子懐妊

この麒麟はどこかで見た事があります

麒麟

茨城県桜川市の八柱神社の麒麟とソックリですが こちらは磯辺家分家の磯辺義兵衛英信の作  これだけ似てれば 同じ人の作品だと決め付けてしまいそうです

八柱神社胴羽目 孔子懐妊
茨城県桜川市八柱神社胴羽目
二柱神社御本殿胴羽目

左の胴羽目は蕭史仙人

蕭史仙人

笙を吹いて 鳳凰を呼ぶ事ができます

蕭史仙人

左面に廻ります

二柱神社御本殿

老人二人の前に唐子が集っています

二十四孝 老莱子

良く見ると 童子に混じって老人が転がっているので 唐突ですがこれは 二十四孝の老莱子ろうらいしでしょう

老莱子
二柱神社御本殿胴羽目

その隣は 何だか分かりません 偉そうな老人の周りに女性が数人います

なんでしょう?

~追記(2023.03.25)橘守国の絵本故事談に元絵と思われる絵がありました。タイトルは「随蝶所幸」となっていて、どうやら楊貴妃を寵愛して国を傾けた玄宗皇帝について描かれている様ですが、私は崩し字が読めないので具体的な話は良くわかりません。蝶を放してそれが留まった所に幸せが来るみたいな遊びをしている様な場面だと思いますが、どなたかご存知の方ご教示ください。ググると中国語のページが沢山引っ掛かります。 

随蝶所幸 橘守国絵本故事談

追記終わり~

〜追記(2023.03.26)二十四孝研究家の小心さんにご教示いただきました。

「随蝶所幸 天寶遺事

開元の末 玄宗皇帝 春に至る毎に 旦暮(あけくれ)宮中に酒宴をまふけ(設け)媚妃の輩(ともがら)をして争(あらそひ)て艶華を挿(さしはさ)ましめ 皇帝みつから 粉蝶を捉(とらへ)て これを放ち 蝶の止る所に随(したがい)て 幸(みゆき・・・天皇のお出かけ)せらる 後 楊貴妃に寵愛もつはら(専ら)なるによつて つゐに又 此の戯(たわふれ)あらさりしなり」

現代語訳など詳しくは下のコメント欄をご覧ください。 追記終わり〜


二柱神社御本殿胴羽目

これは梅妻鶴子の林和靖りんなせいで間違いないと思います

梅妻鶴子

宋代の詩人林逋は 妻子をもたず庭に梅を植え鶴を飼い 杭州の街には20年間足を踏み入れなかったそうです

林和靖

あろう事か 左側脇障子を撮るのを忘れてしまいました 右側脇障子とは対になっていたかも知れなかったんですが。。。 またいつか来てみようと思います

まだまだ沢山 良い彫り物があったので また次回に。。。

刺青師・龍元

097-02(2022.08.06)

コメント

  1. onijii より:

    onijiiです。
    素晴らしい彫刻がてんこ盛りですね!
    人物の顔を見るのがとても楽しみです。
    現地ではよく見えないので、写真を
    見てニヤニヤしてます。(笑)
    昔の彫り師は凄いなあといつも感心。

    • 昔の人は凄いですね。これが全部人力ですもんね。夜は暗くて出来なかっただろうし、大きな作品をトラックで届けて貰うって訳にもいかないし。現代人が当たり前と思ってる事でも、この時代の人には大きな障害ですね。

      大きな物だけでもこんなに沢山有りましたが、細かい物も良いのが沢山有ったので、次回お楽しみに。

  2. より:

    随蝶所幸 下絵発見時ニヤニヤしていた事と想像されます(笑)
    ググれば内容が分かりそうですが、日本語での説明が無いので詳しい内容が分かりませんね、当時の方も、意味を理解している人は皆無だったのでは?と思います。
    三国志先生ならご存じかなぁ?っと、三国志先生からのコメントを期待しちゃいます(笑)

    • 最近話題のDeepLで翻訳すると「随蝶所幸」と言うのは「蝶の喜びに従う」という意味らしいです。
      楊貴妃は元々息子の嫁なので、いくら皇帝でもいきなり略奪するのは流石に気が引けたらしく色々策略を弄したらしいです。でもいくら何でも「蝶が留まったら俺のモノ!」なんて話ではありませんよね。

  3. 小心 より:

    多少間違いがあるかもしれませんが・・・。

    「随蝶所幸 天寶遺事

    開元の末 玄宗皇帝 春に至る毎に 旦暮(あけくれ)宮中に酒宴をまふけ(設け)
    媚妃の輩(ともがら)をして争(あらそひ)て艶華を挿(さしはさ)ましめ 皇帝みつから 粉蝶を捉(とらへ)て これを放ち 蝶の止る所に随(したがい)て 幸(みゆき・・・天皇のお出かけ)せらる 
    後 楊貴妃に寵愛もつはら(専ら)なるによつて つゐに又 此の戯(たわふれ)あらさりしなり」

    毎春玄宗皇帝が開いたパーティ。美女を集めて髪に花を飾らせました。そして皇帝の捕まえた蝶を放して、蝶が止まった花を挿した美女のもとへ行く、という遊びをしていたんですね。でも楊貴妃に夢中になったあとはこの遊びもしなくなった、ということのようですね。

    彫刻がいっぱいで見ごたえのある本殿ですねー。見に行きたい・・・。

    • 小心さん ありがとうございます!

      なるほど、そんな事が書いてあるんですか。ではここには楊貴妃は居ない訳ですね。
      私も崩し字が読める様になりたいですが、まず古文を勉強しなきゃいけません。

      彫刻もいっぱいですが、夏場は藪蚊もいっぱいです。暑くなる前か晩秋の頃がオススメです。

  4. 小心 より:

    「随蝶所幸」は、読み仮名は「蝶(てう)のゆくところに したがふ」と書いてあるようです。

  5. 小心 より:

    絵本故事段の絵には窓の格子(?)のところに蝶が飛んでいますが、彫刻のほうにも蝶はいますか?

    • そこなんですよ!
      蝶が重要なアイテムなので、さっき写真を見返してみたら見つかりませんでした。
      この日は天気があまり良くなくて写真を撮るのに悪戦苦闘した記憶があるのですが、あまり状態の良い写真が撮れてませんでした。
      また近くに行った時に確認してみます。撮り忘れの脇障子もあるので。。。
      ありがとうございます。

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