令和七年四月上旬 栃木県鹿沼市の田原神社に参拝しました。

この辺りに四社ある田原神社のうちの一つです。

隣の公民館に駐車しました。
享和二年(1802)社殿再建
御祭神 田原忠綱命

立派な御本殿が鎮座していました。

左側脇障子。梅に鶯でしょう。

向拝の龍。

どこから見ても素晴らしい造形で 一流の彫師の作と思われます。

木鼻の象。

右側脇障子。紙垂に隠れてしまいましたが こちらにも鶯がいるのだと思います。

ここに到着したのは4時半くらい。

側面の格子窓はかなり高い位置にありました。

4月上旬の4時半となると 覆屋の中はかなり暗めです。

胴羽目は菊慈童。

慈童は穆王の寵愛を受けますが 官人の妬む所となり過失を嫁せられ深山幽谷に流刑になります。

哀れに感じた穆王は偈(仏を讃える詩)を与え 慈童は忘れないようにそれを菊の下葉に記しました。その菊の葉の露は谷の水に滴り 病気が治る霊泉となって麓の村へ流れました。
800年後 霊泉の調査にやって来た勅使は少年の姿をした慈童を発見します。慈童は菊の露を飲んで不老不死の仙人になっていたのです。


背面に廻ります。

胴羽目は波間を翔ぶ鶴です。

左面です。内側に額が掛かっていて 正面からは見られませんでした。

胴羽目は亀です。背面と対になる様です。

対にするなら左右にした方がバランスが良いのに と思いますが 何か他に理由があるのか そんな事は気にしないのが この業界の流儀なのか こんな組み合わせの御本殿を結構見かけます。
ここの所 頻繁に菊慈童に出逢います。呼ばれているのかな?なんてね。
統計を取れば 地域的・年代的な傾向がわかるのかも知れません。
刺青師・龍元
044(2025.06.12)
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