令和二年十一月、千葉県香取市の山倉大神に参拝しました。
弘仁二年(811)創建
安永七年(1778)現本殿建立
御祭神
高皇産霊大神
建速須佐男命
大物主大神
拝殿
向拝には七福神があります。
右端。笛を吹く寿老人とバチの様な物を持つ福禄寿。横には唐子がいます。
中央は踊る布袋尊と恵比寿大黒ですね。
唐破風下には青龍がいました。青龍の青というのは青葉の青なので実際には緑です。
左側から見ると龍の目の辺りが割れてしまってます。見てると目がショボショボします。早く修復をお願いしたい所です。
布袋さんの着物の色は何とかならなかったんでしょうか。肌が白で着物も白じゃ何だかわかりませんね。
左側は毘沙門天と弁財天。
拝殿左側脇障子は獅子の子落としです。新し目の彫り物の様に見えます。
右側脇障子は獅子の滝行。
玉垣透塀
玉垣の扉に彫り物がありました。
亀。玉垣は比較的新しいですが、彫り物は古いものを移植した様です。
鯉。
玉垣左側にも扉がありました。
これは柴の束があるので、二十四孝の曾参かなぁ。指を噛んでる母がいれば間違いなしなんですが。構図的には左側が不自然に空いています。
真ん中の女性が赤ん坊を抱いています。二十四孝で赤ん坊と言えば郭巨ですが。。。お釜が無いし、目撃者がいる所で赤ちゃんを埋めたら、犯行がバレてしまうので、これは違うと思います。何だろ?隣の欄間とつながっているのか? 〜追記(2021.05.24)これは閔子騫ではないか、と小心さんにご教示頂きました。言われてみるとその通りだと思います。ありがとうございます m(__)m 追記終わり〜
玉垣透塀にも一枚だけ欄間が入っていました。画題は二十四孝から。
大舜。
継母と実父に殺されそうになるなど、ひどい虐待を受けたが孝行を尽くしたので、象と小鳥が畑仕事を手伝ってくれた。天はちゃんと見ていて報いてくださるのだ、という話。でも、この象達、とても邪悪な目つきをしています。舜、気を付けろ!この話には裏があるぞ!
舜の畑のすぐ脇では漢ノ文帝の母が食事中。文帝自ら毒味をして給仕をします。なぜなら孝行息子だから。
御本殿
残念ながら御本殿に胴羽目は無かったのですが、海老虹梁と大虹梁上と脇障子に彫り物がありました。
海老虹梁の龍。蛇腹の形や鱗、爪の形などからすると、拝殿の向拝唐破風下の龍と同じ人の作品だと思います。ヒゲと歯と目だけ彩色されています。全部でなくて良かったよ ( ;´Д`)
大虹梁の上には孔雀。
脇障子は二十四孝からお馴染みの楊香。
右側脇障子は、これまた二十四孝から郭巨。目撃者無しの完全犯罪が可能です。
こちらの大虹梁の上には鳳凰です。
海老虹梁には龍。桁隠しには鯉が龍に進化する途中の姿の化け鯉。
この辺りは二十四孝が人気ですね。おかげで大分わかる様になって来ました。
刺青師・龍元
292(2020.12.21)
コメント
稲荷大神と山倉大神はピンポイントで
訪問しました。
彩色系神社は綺麗なのですが、色使いに
首をかしげることがありますね。
現代風解釈素晴らしいです。(笑)
色使いは職人のセンスですからね。
数十年にいっぺんの事でしょうから、神社側に塗り屋選びの経験者がそうそう居ないのではないでしょうか?大きな神社はやっぱり業界のネットワークで、そこら辺がしっかりとしているのでしょうね。
はは、お褒め頂きありがとうございます♪
赤ちゃんを抱いた女性のいる彫刻は、稲荷大神と同じく閔子騫じゃないでしょうか。
大舜の象はたしかに邪悪そうですねー。手伝うふりして地雷でも埋めてそう(笑)。
本当ですね!閔子騫で間違いないですね。赤ん坊に囚われてしまいました。
ブログ拝見してます。二十四孝は小心さんのブログで勉強しました。彫刻の元ネタと思われる資料が沢山あって勉強になります m(_ _)m