令和二年十一月、千葉県柏市の鳥見神社に参拝しました。この界隈に20数社ある鳥見神社の内の一つ。
この辺りの神社の特色として、鳥居をくぐると謂わゆる拝殿ではなく、社務所か集会所みたいな建物がある事が多いです。
御由緒
創建年代不詳
明治元年(1868)本殿建立
御祭神 饒速日命
裏に回ります。
向拝には隻眼の龍がありました。嵌めてあった眼が取れてしまっただけで特別な意味はないんでしょうが。
御本殿の脇にあるのはお神輿です。
胴羽目は日本武尊の東征。これは凄いです。
何が凄いって、この顔です。左から見ても鼻が左を向いています。
左半分を塗り潰すと横顔になります。横顔と正面の顔がある、つまり二つの視点が同居しているのです。謂わゆるキュビズムですが、ピカソがキュビズムに到達したのが20世紀初頭ですから、19世紀中頃に建てられた御本殿にキュビズムの作品があるなんて、信じられません!ピカソはここに来た事があるんじゃないのか?
ピカソに影響を受けたと言われる岡本太郎の太陽の塔が作られたのは1970年の万博の時。当時も普通の人はびっくりしたんですから、それより100年も前の人はこれを見てどう思ったのか。
背面胴羽目は楠親子の桜井の別れ。日本武尊が強烈過ぎたからか、これは今ひとつです。
左面。
胴羽目には応神天皇誕生がありました。
この表現力。武内宿禰の顔がゴッホの自画像を彷彿とさせます。
内部は非常に暗くてこの時には気が付かなかったのですが、左下に彫師の銘がありました。写りが悪くて読めません。是非とも彫師の名前を知りたいです。再訪しなければ。
この人は生まれるのが早過ぎたのかも知れません。
刺青師・龍元
268(2020.11.25)
コメント
onijiiです。
この手の変顔をキュビズムというのですか!
口元が太陽の塔と似てますね!!
上手に彫るのが当たり前の時代に、この顔を
彫るのは異端ですよね!!!
氏子さんたちの理解にも拍手ですね!!!!
ピカソと岡本太郎の前世の方だと思います。(笑)
この作風は当時としてはかなり冒険だったでしょうね。
でも当時はテレビもネットも無かったから、誰も世間の事をよく知らなくて「こんなもんかな」って思ったかもしれませんね。