まるでピカソ?岡本太郎もびっくり [鳥見神社] 千葉県

神社仏閣
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

刺青師・ 龍元をフォローする

令和二年十一月、千葉県柏市の鳥見神社に参拝しました。この界隈に20数社ある鳥見神社の内の一つ。

鳥見神社鳥居

この辺りの神社の特色として、鳥居をくぐると謂わゆる拝殿ではなく、社務所か集会所みたいな建物がある事が多いです。

鳥見神社 

御由緒

創建年代不詳
明治元年(1868)本殿建立
御祭神 饒速日命にぎはやひのみこと


裏に回ります。

鳥見神社本殿覆屋
鳥見神社御本殿

向拝には隻眼せきがんの龍がありました。嵌めてあった眼が取れてしまっただけで特別な意味はないんでしょうが。

碧眼の龍

御本殿の脇にあるのはお神輿です。

鳥見神社御本殿 

胴羽目は日本武尊やまとたけるのみことの東征。これは凄いです。

日本武尊の東征

何が凄いって、この顔です。左から見ても鼻が左を向いています。

日本武尊

左半分を塗り潰すと横顔になります。横顔と正面の顔がある、つまり二つの視点が同居しているのです。謂わゆるキュビズムですが、ピカソがキュビズムに到達したのが20世紀初頭ですから、19世紀中頃に建てられた御本殿にキュビズムの作品があるなんて、信じられません!ピカソはここに来た事があるんじゃないのか?

日本武尊

ピカソに影響を受けたと言われる岡本太郎の太陽の塔が作られたのは1970年の万博の時。当時も普通の人はびっくりしたんですから、それより100年も前の人はこれを見てどう思ったのか。

太陽の塔
鳥見神社御本殿

背面胴羽目は楠親子の桜井の別れ。日本武尊が強烈過ぎたからか、これは今ひとつです。

楠親子桜井の別れ

左面。

鳥見神社御本殿右面

胴羽目には応神天皇誕生がありました。

応神天皇誕生

この表現力。武内宿禰の顔がゴッホの自画像を彷彿とさせます。

武内宿禰

内部は非常に暗くてこの時には気が付かなかったのですが、左下に彫師の銘がありました。写りが悪くて読めません。是非とも彫師の名前を知りたいです。再訪しなければ。

銘

この人は生まれるのが早過ぎたのかも知れません。

刺青師・龍元

268(2020.11.25)

コメント

  1. onijii より:

    onijiiです。
    この手の変顔をキュビズムというのですか!
    口元が太陽の塔と似てますね!!
    上手に彫るのが当たり前の時代に、この顔を
    彫るのは異端ですよね!!!
    氏子さんたちの理解にも拍手ですね!!!!

    ピカソと岡本太郎の前世の方だと思います。(笑)

    • 龍元 より:

      この作風は当時としてはかなり冒険だったでしょうね。
      でも当時はテレビもネットも無かったから、誰も世間の事をよく知らなくて「こんなもんかな」って思ったかもしれませんね。

タイトルとURLをコピーしました