アメリカ放浪記 Part1 メンフィス編

Crossroads
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プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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私は若い頃、アメリカを放浪していた事があります。​

きっかけは、’87年日本公開のラルフマッチオ主演のクロスロードという映画。ブルースの神様ロバートジョンソンの Crossroads という曲がモチーフになっていて、その曲の中で歌われている、ロバートジョンソンが自らの魂と引き換えに悪魔と取引してブルースの極意を得た、とされる幻の十字路 「クロスロード」を、ラルフマッチオ演じる主人公ユジーンが探しに行くという青春物語です。

Crossroads
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ビデオで観たので、’88年か’89年頃観たのだと思います。映画に影響されてアメリカ迄行ってしまうなんて、私にも随分と青い頃があったモンですナ。21才の頃です。

まさか本当にその「十字路」があると信じていた訳でも無いのですが、当時私はロックミュージックのルーツである黒人音楽に傾倒していたので、アメリカ南部を回って商業化されていない本物の黒人音楽を聴きたかったのです。

映画ではニューヨークからメンフィス迄バスで行く事になっていたので、私はロサンゼルスから入りメンフィス迄グレイハウンドというバスを乗り継いで行きました。

メンフィスは街の大通りの両側の歩道に大勢の黒人がしゃがんでたり、ただ立っていたり、遠くから見ると正に人間が鈴なりになっているといった感じでした。多分、職にあぶれた人たちなのでしょう。黒人と白人は住んでいる所も明確に別れている様に見えました。

日本にいる時にテレビで観たゴスペルを聴きたくて、アフリカ系住民の集まるバプテスト教会を探しました。インターネットも無い時代です。歩き回ってやっとの事でダウンタウンのはずれに小さなバプティスト教会を見つけた私は、教会の裏で遊んでいる小学校低学年位の子供達に声を掛けました。
「明日の日曜日にはみんな教会に行くの?」
​「行かない」
「僕は行くよ」
「じゃあさ、そこで歌を歌ったりするかな?」
「う~ん、歌う事もあるかな、分かんないや」
って感じの会話だった様な気がします。そうしている内に、牧師さんなのか神父さんなのかが出て来て皆にお説教を始めました。
「この人の肌の色はおまえ達の肌の色とは違うが、人間は皆同じなんだ、仲良くしなくちゃいけない…」

メンフィスにて
メンフィスにて

いつの間にか子供達はいなくなってしまいましたが、1人だけお説教を熱心に聴いていた子が手招きをして
「ついて来なよ」
と街とは反対の方向に歩いて行きます。

木製の電柱や錆びた金網など、全体的に茶色い町並みの中をついて行くと、その子は空き家を覗き込んでは歩き、覗き込んではまた別の空き家に向かうと云う事を繰り返しました。

「もしかしてオレの為に家を探してるの?」
「いいからいいから」
気が付いた時には私は広場の真ん中に立っていました。

アフリカ系住民の区域です。広場は土曜の夕方を楽しむ人達で賑わっていましたが、私に気付くと急に静かになり、私をじっと見ています。私の周りにはグルリと人だかりが出来て、その輪は少しずつ小さくなって来る様に感じました。

「何しに来たんだ?」
長老の様な老人が前に出て来て言いました。

「この子が…」
と私は言いかけましたが、さっき迄横にいたはずの少年は遠くの方で母親に戯れています。

「ここはお前の来る処ではない。若いモンの中には気の荒い奴もいる。怪我をしないウチに出て行きなさい」

私は礼を言って直ぐその場を立ち去りました。

次の日は勿論、教会に行きました。教会ではお説教を聴き、いかにもお節介が好きそうなオバさん達と聖書についてディスカッションをしました。普段見ない変わった奴が来たと、オバさん方には大人気でしたが、肝心のゴスペルを聴く事は出来ませんでした。

ダウンタウンの公園でギターを弾きながらブルーズを歌うハーマン。一曲をエンドレスで延々と歌う。
ダウンタウンの公園でギターを弾きながらブルースを歌うハーマン。一曲をエンドレスで延々と歌う。

刺青師・龍元

アメリカ放浪記 Part2 コモ編(1)に続く

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