令和七年九月上旬 山梨県山梨市の白山神社に参拝しました。

神護景雲二年(768)勧請
御祭神 大日孁貴尊 誉田別尊 菊理姫命
拝殿には向拝がなく 手前の一間が神楽殿の様になっていて 吹さらしになっています。長野県や山梨県で稀ですが見かけます。

正面扉上には龍の欄間がありました。

御本殿は低い玉垣と鉄条網で囲われています。三間社流造り。外陣は吹さらしです。

向拝中備には浦島太郎がありました。

釣竿と魚籠を持っています。

亀。 波の造形が見事です。

海老虹梁には龍がいました。

海老虹梁に乗っかった龍。こんなの初めて見ました(多分)。

分かってて来ましたが 胴羽目・脇障子の金網を直に見て愕然としました。

肉眼では何が何だか まったく分かりませんでしたが これは二十四孝の董永だと思います。

董永は借金をして父の葬式をしました。すると 一人の美女が現れ董永の妻となり 絹を織ってたちまち借金を返してしまいました。

「私は天の織姫です 貴方の孝行な心に感じて 天が私にお命じになったのです」と言って 美女は天に帰って行きました という話。

こんなに麗しいお顔をしているのに 直に見えないなんて。。。

脇障子。ここへ来たのは4時半位。だいぶ陽が傾いてきて 少し光量が足りない感じですが 強い日差しが金網に直に当たると 余計に彫刻が見えなくなりますので なかなか難しいところです。

どうやら頭の上に蝦蟇を乗せた蝦蟇仙人の様です。

大棟鬼板には鬼面がありました。

やはり 劣化しやすい部位です。

背面に大きな彫刻はありませんでした。

左面です。

鬼面。

角は欠損してしまったのだと思います。

こちらの脇障子も良く見えませんが 杖を持った人物なので 右側脇障子と対になる李鉄拐が 可能性としてありそうです。鉄拐先生の分身は見当たりませんでした。

胴羽目は二十四孝の楊香でしょう。

楊香と父が山に行くと虎が躍り出て 今にも2人を食べようとしました。

楊香が「私だけを食べて 父は助けて下さい」と懸命に祈ると 虎は去り 父子共に命が助かった という話。

こんなに健気で可愛らしい顔をしているのに 直に見えないなんて。。。

あろう事か お父さんは満足げな笑みを浮かべています。

こちらの海老虹梁にも龍。

海老虹梁と一体で彫られた物だと思います。

腕の良い 名のある職人の仕事だと思いますが 金網が非常に残念です。
刺青師・龍元
073(2025.12.03)

コメント
onijiiです。
ようやく題材が分かりました。
二十四孝と仙人だったのですね。
ありがとうございます。
劣化した鬼面がいいですねえ。
歴史を感じます。
脇障子はもしかしたら違うかも知れませんが、胴羽目は二十四孝で確定だと思います。
全体的に寂れた感じの神社ですね。