妻壁は近松門左衛門の人形浄瑠璃から [子安神社] 茨城県

子安神社御本殿 神社仏閣
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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令和七年一月中旬 茨城県かすみがうら市の子安神社に参拝しました。

子安神社鳥居

大同二年(807)駿河国富士浅間大神と鹿島大神の分霊を勧請
江戸初期 現本殿建立
寛文十三年(1673)現拝殿建立
木花開耶姫命このはなさくやひめのみこと
武甕槌命たけみかづちのみこと

子安神社拝殿

向拝の龍です。

向拝の龍

舌を噛み切りそうです。

向拝の龍

日立市の船見山天満宮の向拝の龍↓に似ています。特に舌を噛み切りそうな所は瓜二つ。同じ人 もしくは同門の人でしょうか?

向拝の龍
日立市船見山天満宮の向拝の龍

ここではご神職にお話を伺う事が出来ました。

子安神社御本殿覆屋

立派な御本殿がありました。

子安神社御本殿

ご神職は江戸初期の建立とおっしゃっていましたが 江戸初期にしては立派な彫刻です。もしかしたら彫刻は後補なのかも知れません。

子安神社御本殿

妻壁は刺青でもお馴染みの図柄 国性爺合戦 和藤内わとうないの虎退治。近松門左衛門作の人形浄瑠璃の名場面です。

国性爺合戦和藤内

国性爺合戦は正徳五年(1715)大坂竹本座で初演 享保元年(1716)歌舞伎に取り入れられて一世を風靡した様です。

なので 少なくとも妻壁の彫刻は江戸中期以降の製作という事になりそうですが 確かに後付けの様に見えます。

和藤内の虎退治

中国人の父と日本人の間に生まれた和藤内は 明国に渡り 獅子ヶ城へ向かう途中の千里が竹で人食い虎に出会います。

虎

和藤内は伊勢大神宮のお札の威力で虎を従わせ 母を虎にのせて城を目指す という場面です。

和藤内

胴羽目はこの辺りでよく見かける 地紋彫りに植物が浮き彫りにされた物。これは松の木の様です。

地紋彫りに松

背面に回ります。

子安神社御本殿

胴羽目は二十四孝から 老萊子ろうらいし。右面の胴羽目に比べると 梁や柱と胴羽目の間の奥行きが狭い様に見えるので こちらも後付けかも知れません。

二十四孝 老萊子

両親に孝を尽くし 七十歳を過ぎても幼児の仕草で親に歳を忘れさせたという 老萊子。

老萊子

母は 冷めた眼差しで我が子を見つめます。

老萊子の母

「。。。。。。」

老萊子

七十歳を過ぎて わざとつまずき泣き喚く息子を 父親はどの様な思いで見ているのでしょう。

老萊子の父

あらかじめ仕込んであった賑やかし。

賑やかし

にこりともしない両親。

老萊子の両親

気まずい思いから 思わず口から笛を離して 演奏をやめてしまいます。

賑やかし

左面です。

子安神社御本殿

胴羽目はこの辺りでよく見かける 地紋彫りに植物の浮き彫り。梅の木でしょうか。

地紋彫りに梅?

こちらの妻壁は知らない画題だったのですが いつも参考にさせて貰っている二十四孝に会いに行く!の小心さんによると これは右面妻壁と同じく国性爺合戦から 柳歌君りゅうかくん奮戦の場。

栴檀皇女せんだんおうじょを守って敵から逃げている柳歌君の大立ち回りの場面です。

国性爺合戦 柳歌君奮戦の場

敵に狙われた栴檀皇女せんだんおうじょ。柳歌君と共にあしの陰に隠れます。

栴檀皇女

執拗に追いかける敵方の刺客 剛韃ごうだつ。「このあしの陰が怪しい」とかいの先で蘆を掻き分けます。

柳歌君と栴檀皇女を探し回る剛韃

柳歌君は 櫂の先をしっかとつかみ 力任せに跳ね返して大立ち回り。

柳歌君

YouTubeで動画を見つけました。4:20辺りの場面です。

子安神社御本殿

御本殿の向拝にも舌を噛み切りそうな龍がありました。

向拝の龍

見応えのある神社でした。

刺青師・龍元

028(2025.04.12)

コメント

  1. onijiiです より:

    onijiiです。
    参拝されたのですね。
    妻壁左右とも小心さんから教わりました。
    ぱっと見、楊香に見えますよね。(笑)

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