令和七年一月中旬 茨城県かすみがうら市の子安神社に参拝しました。

大同二年(807)駿河国富士浅間大神と鹿島大神の分霊を勧請
江戸初期 現本殿建立
寛文十三年(1673)現拝殿建立
木花開耶姫命
武甕槌命

向拝の龍です。

舌を噛み切りそうです。

日立市の船見山天満宮の向拝の龍↓に似ています。特に舌を噛み切りそうな所は瓜二つ。同じ人 もしくは同門の人でしょうか?

ここではご神職にお話を伺う事が出来ました。

立派な御本殿がありました。

ご神職は江戸初期の建立とおっしゃっていましたが 江戸初期にしては立派な彫刻です。もしかしたら彫刻は後補なのかも知れません。

妻壁は刺青でもお馴染みの図柄 国性爺合戦 和藤内の虎退治。近松門左衛門作の人形浄瑠璃の名場面です。

国性爺合戦は正徳五年(1715)大坂竹本座で初演 享保元年(1716)歌舞伎に取り入れられて一世を風靡した様です。
なので 少なくとも妻壁の彫刻は江戸中期以降の製作という事になりそうですが 確かに後付けの様に見えます。

中国人の父と日本人の間に生まれた和藤内は 明国に渡り 獅子ヶ城へ向かう途中の千里が竹で人食い虎に出会います。

和藤内は伊勢大神宮のお札の威力で虎を従わせ 母を虎にのせて城を目指す という場面です。

胴羽目はこの辺りでよく見かける 地紋彫りに植物が浮き彫りにされた物。これは松の木の様です。

背面に回ります。

胴羽目は二十四孝から 老萊子。右面の胴羽目に比べると 梁や柱と胴羽目の間の奥行きが狭い様に見えるので こちらも後付けかも知れません。

両親に孝を尽くし 七十歳を過ぎても幼児の仕草で親に歳を忘れさせたという 老萊子。

母は 冷めた眼差しで我が子を見つめます。

「。。。。。。」

七十歳を過ぎて わざとつまずき泣き喚く息子を 父親はどの様な思いで見ているのでしょう。

あらかじめ仕込んであった賑やかし。

にこりともしない両親。

気まずい思いから 思わず口から笛を離して 演奏をやめてしまいます。

左面です。

胴羽目はこの辺りでよく見かける 地紋彫りに植物の浮き彫り。梅の木でしょうか。

こちらの妻壁は知らない画題だったのですが いつも参考にさせて貰っている二十四孝に会いに行く!の小心さんによると これは右面妻壁と同じく国性爺合戦から 柳歌君奮戦の場。
栴檀皇女を守って敵から逃げている柳歌君の大立ち回りの場面です。

敵に狙われた栴檀皇女。柳歌君と共に蘆の陰に隠れます。

執拗に追いかける敵方の刺客 剛韃。「この蘆の陰が怪しい」と櫂の先で蘆を掻き分けます。

柳歌君は 櫂の先をしっかとつかみ 力任せに跳ね返して大立ち回り。

YouTubeで動画を見つけました。4:20辺りの場面です。

御本殿の向拝にも舌を噛み切りそうな龍がありました。

見応えのある神社でした。
刺青師・龍元
028(2025.04.12)
コメント
onijiiです。
参拝されたのですね。
妻壁左右とも小心さんから教わりました。
ぱっと見、楊香に見えますよね。(笑)
普通そうかも知れませんね。
私は仕事で何人もやって来て割と馴染み深いんで、和藤内を見かけるとニンマリしてしまいます。