長谷川源太郎の三国志 [榛名神社双龍門 再訪] 群馬県

榛名神社双龍門 神社仏閣
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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令和五年一月中旬、群馬県高崎市の榛名神社に参拝しました。

ここは令和元年六月に参拝して 榛名神社 其の二 双龍門 で記事にしましたが、双龍門の修繕が終わったと聞いたので再訪しました。

榛名神社双龍門

安政三年(1856)竣工
棟梁 群馬郡富岡村 清水和泉 
彫師 武蔵熊谷宿 長谷川源太郎(小林源太郎・熊谷源太郎)

双龍門とは榛名神社にある国の重要文化財の四脚門で、左右の壁面の表裏各面に二枚続きの素晴らしい彫刻があります。

桃園結義 とうえんけつぎ

まずは門に向かって右の外側面の左側。

「桃園結義」天を仰ぐ劉備

三国志演義序盤の名場面「桃園結義」から 天を仰ぐ劉備玄徳りゅうびげんとく

「桃園結義」天を仰ぐ劉備

以前は金網越しでしたが、修繕後は透明アクリル板になり、細部が格段に見やすくなりました。

「桃園結義」天を仰ぐ劉備

右外側の右側は、劉備と義兄弟の契りを結ぶ 関羽と張飛です。

「桃園結義」関羽と張飛

末弟の張飛翼徳ちょうひよくとく

「桃園結義」張飛

前回来た時は三国志を良く知らなかったので「凄い彫刻だな」と思っただけでしたが、「何が彫られているのか」が分かると断然面白さが違います。

「桃園結義」張飛

次兄の関羽雲長かんううんちょう

「桃園結義」関羽

三顧茅廬 さんこぼうろ

次は門の右側の壁の内側 三顧の礼として良く知られている場面です。

内側面の左側は門の扉が開かれていた為に斜めからです。

「三顧茅廬」

稀代の天才軍師・諸葛亮孔明しょかつりょうこうめいを訪ねて三回目、やっとの事で孔明が在宅していたが、肝心の孔明はお昼寝中。
劉備「孔明先生は御在宅でしょうか?」
小僧「先生は午睡中だい」
劉備「分かりました それではお目覚めになるまで待ちましょう」

「三顧茅廬」孔明を訪ねる劉備

張飛「へっ?何言ってんですかい、アニキ!奴は寝てんですぜ、帰りましょう!」

「三顧茅廬」張飛

関羽「静かにしろ!さもないと貴様の髭に火を着けるゾ!」

「三顧茅廬」関羽と張飛

さすが関羽。次兄の貫禄十分です。

「三顧茅廬」関羽

彫刻の直近に透明板が取り付けられているので、すぐ近くに寄れて細部まで細かく鑑賞できるのは嬉しいですが、引いて全体を鑑賞しようとすると映り込みが凄くて見えづらいのが難です。

「三顧茅廬」関羽と張飛

張飛大鬧長坂橋 ちょうひだいどうちょうはんきょう

門に向かって左の内側面は三国志演義中盤の名場面の一つ「長坂坡の戦い」から 長坂橋で大喝だいかつする張飛翼徳ちょうひよくとくです。

「張飛大鬧長坂橋」長坂橋にて大喝する張飛

燕人張飛えんひとちょうひ、これにあり!俺と命がけの勝負をしたい奴はいるか!」と 銅鑼の鳴る様な大声で曹操軍に向けて大喝します。

「張飛大鬧長坂橋」長坂橋にて大喝する張飛

その声の振動で橋は崩れ落ち、河は逆流し始めた とする話もある程。

「張飛大鬧長坂橋」長坂橋にて大喝する張飛

5千人(文献によっては〜30万人)もいる曹操軍が張飛のこの一喝でビビります。

「張飛大鬧長坂橋」長坂橋にて大喝する張飛

恐れをなして逃げる曹操軍。こちらも開けられた扉の影で全体を見る事は叶わず。う〜ん、何がなんだかよく見えません。

「張飛大鬧長坂橋」逃げる曹操軍

寄ってみると、馬に乗って逃げる曹操軍将校が見えました。曹操軍は半里(約2キロ)も退却を余儀なくされたと言います。

「張飛大鬧長坂橋」逃げる曹操軍

逃げる曹操軍歩兵。

「張飛大鬧長坂橋」逃げる曹操軍

趙雲救幼主 ちょううんきゅうようしゅ

門に向かって左の外側左面は これも「長坂坡の戦い」から 逃げた劉備軍を追う曹操軍。

「趙雲救幼主」趙雲を追う曹操軍

劉備は長坂坡の戦いで曹操軍が攻めて来ると聞くと 妻子や民衆を置き去りにして逃げ出します。

「趙雲救幼主」趙雲を追う曹操軍

押し寄せる曹操軍。

「趙雲救幼主」趙雲を追う曹操軍

文献によって5千〜30万の大軍です。

「趙雲救幼主」趙雲を追う曹操軍

曹操軍との乱戦の中、趙雲ちょううんは警護していた劉備の妻子を見失ってしまいます。
「何の面目あってこのまま主君にまみえん?生命いのちのある限りは。。。」

「趙雲救幼主」劉禅を抱き単騎駆けする趙雲

単身、押し寄せる曹操軍の中を駆け抜けて、やっとの事で劉備の妻子を発見。しかし、足手まといになるのを恐れた夫人は、嫡男の阿斗を趙雲に託して井戸に身を投げます。

「趙雲救幼主」劉禅を抱き単騎駆けする趙雲

よろいの紐をといて、胸当の下に、しっかと、幼君阿斗のからだを抱きこんだ趙雲。
「若君のお身をつつがなく主君へお渡し奉るこそ大事中の大事」

「趙雲救幼主」劉禅

「おれをさえぎるものはすべて生命を失うぞ」

「趙雲救幼主」趙雲を追う曹操軍

物語の順番としては、趙雲が幼君阿斗を救出した後、張飛が長坂橋で追手の曹操軍を大喝して撃退するという流れです。

榛名神社双龍門

さすが源太郎。妙技が光ります。

因みに桃園結義を除いて同じ画題・ほぼ同じ構図の胴羽目が群馬県伊勢崎市の八斗島稲荷神社やったじまいなりじんじゃにあります。

神楽殿

明和元年(1764)再建
棟梁 佐藤直右衛門

榛名神社神楽殿

梁上に鎮座する力神さま。

力神さま

もの凄い眼力でガンを飛ばしていらっしゃいます。

力神さま

恐いです。

力神さま

今回は神楽殿は余計かな とも思ったのですが、ここへ来たらやっぱり力神さまは外せません。

刺青師・龍元

023(2023.02.22)

コメント

  1. onijiiです より:

    onijiiです。
    おおー!これは凄い!!驚きました!!!
    リアルな表現ですねえ。素晴らしいです。
    こんなに凄い彫刻だったとは・・・。
    源太郎がますます好きになりました。

    彫刻でここまで表現してしまうのですね。
    生き生きとしていて、体温を感じてしまう
    ようです。
    今すぐにでも行きたくなりました。(笑)

    力神、お気遣いありがとうございます。

    • onijiiさん おはようございます。
      以前は錆びた金網で覆われてましたが、修繕されて透明プラ板(ひょっとしたらガラスだったかも)になって鑑賞しやすくなりましたね。反射してしまって全体は見づらいですが、間近で鑑賞できるのは嬉しいです。

      桃園結義と趙雲救幼主の面は門の外側面にあるので、見る人はマニア以外ほぼ居ないのではないでしょうか。勿体無い事です。

      ここに来たらこの力神さまは外せませんね〜。調査報告書によると雷神だそうです。

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