左甚五郎彫の龍 [秩父神社 其のニ] 埼玉県

鯉仙人琴高 神社仏閣
プロフィール

彫師歴三十余年。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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令和七年六月中旬 埼玉県秩父市の秩父神社に参拝しました。其の一からの続きです。

崇神天皇御代(BC97-BC30)創建
天正二十年(1592)現社殿造営
御祭神 八意思兼命やごころおもいかねのみこと 知知夫彦命ちちぶひこのみこと 天之御中主神あめのみなかぬしのかみ 秩父宮雍仁親王ちちぶのみややすひとしんのう

御本殿には残念ながら胴羽目彫刻はありません。

秩父神社御本殿右面

海老虹梁の下には釣竿を構える呂尚りょしょう

太公望呂尚

殷の重臣であった姫昌(後の文王)は 狩の途中 釣りをしている呂尚を見て「そんな真っ直ぐな針で何が釣れるのか」と尋ねた。すると「私は天下を釣ろうとしている」と呂尚は答えた。姫昌は「我が祖父(太公)の代から待ちんでいた逸材だ」と喜び 呂尚を軍師に招いた

と言う逸話で知られ 太公望たいこうぼうとも呼ばれます。

太公望呂尚

二重虹梁間には つなぎの龍。こちらも左甚五郎彫という事です。

つなぎの劉

こちら↓は塗り直される前の龍。確かに色が寂れてはいましたが こちらのが良かったかも。。。

つなぎの劉 2017撮影
2017撮影

背面に回ります。

秩父神社御本殿背面

脇障子には許由きょゆう巣父そうほがありました。こちらは尭帝に帝位を譲ろうと言われ拒絶した高士 巣父。

巣父

巣父は牛に水を飲ませようと川に向かいました。川に到着すると 尭帝に帝位を譲ろうと言われた許由が「耳が穢れた」と言って 自分の耳を洗っていました。巣父は「牛に汚れた水を飲ませるわけにはいかぬ」と立ち去ったと云います。

巣父

滝で耳を洗うのは許由です。堯帝が帝位を譲ろうと申し出るが 潁水のほとりにおもむき「汚らわしいことを聞いた」と その流れで自分の耳をすすぎ 箕山に隠れてしまったといいます。

許由

魔神ブウみたい…

許由

御本殿左面です。こちらにも龍がいます。

秩父神社御本殿左面

海老虹梁の下には 西王母から生命を司る蟠桃を三つ盗んで八百年生きた と言われる 東方朔とうほうさくがありました。

東方朔

それにしても派手な衣装です。

東方朔

幣殿と拝殿の裏側です。

秩父神社幣殿左面

幣殿左には福神相撲がありました。

福禄寿と布袋尊と大黒天

三福神の相撲は歌麿なども描いていて 小物や刀の鍔などにもあしらわれる吉祥図柄。登場人物は定まっていない様ですが ここでは袋と小槌 頭の長い姿から 大黒天と布袋尊が福禄寿の行司で相撲を取っている様です。

布袋尊と大黒天

反対側のこの部分には雷さまがありましたから この部分は神さま枠なのかも… それにしてもコチラも派手な衣装です。

福禄寿

中央は 張果老ちょうかろう瓢箪ひょうたんから駒。

張果老 瓢箪から駒

老と呼ぶには若く見えますが 若返る事も出来たらしいです。瓢箪から駒は日本のみの設定。瓢箪ちっちぇ。

張果老 瓢箪から駒

その隣は剣に乗り波間を進む鍾離権しょうりけん

鍾離権

八仙の一で 曲亭馬琴は上利剣と同一人物だと言っていますし 北斎も剣乗り仙人を上利剣として描いています。

鍾離権

拝殿背面奥は 鯉乗り仙人の琴高きんこう

鯉仙人琴高

琴の名人で ある日弟子に龍子を捕えると言い残して水の中に入って行き 約束の日に鯉の背に乗って水中から現れたという イミフな行動で知られた人です。仙人は皆そうですが…

鯉仙人琴高

拝殿拝殿手前は鶴仙人の費長房ひちょうぼう

鶴仙人費長房

こちら↓は塗り直される前。模様などはある程度忠実に再現されていますが 色はかなり大胆な変更がなされています。

鶴仙人費長房 2017年撮影
2017年撮影

仙人になる為の試練に挫折したが 人間界に戻ってからも 万病を治癒したり あらゆる鬼神を使役懲罰したり という能力は失う事がなかった という ある意味良いとこ取りの人。

鶴仙人費長房

拝殿左面は鳳凰でした。

秩父神社拝殿左面

額殿にも素晴らしい彫り物がありました。

其の三に続きます。

刺青師・龍元

066-02(2025.10.26)

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