令和三年九月下旬、茨城県桜川市の雨引山楽法寺、通称雨宮観音に参詣しました。
途中、鐘楼堂や仁王門・地蔵堂にも良い彫り物があったので、それらは次回に紹介します。
今回は御本堂。
御本堂(観音堂)
天和二年(1682)現本堂建立
彫師 無関堂円哲
無関堂円哲というのは嶋村円哲の事みたいですね。知らんけど。昔の彫師は色々な名前使ったり、字を変えたりするのでサッパリ分かりません。
胴羽目
右面胴羽目の地獄絵図。右下で車を引いているのは牛頭でしょうか。私は地獄絵図の依頼があれば必ず牛頭と馬頭を入れます。
正面右側胴羽目。閻魔様の顔色が気になりますね。肝臓が悪そうです。ノコギリの様な物を持っている緑の鬼が馬頭っぽいですね。私はどちらかと言えば牛頭より馬頭の方が好きです。
正面左側胴羽目。迦陵頻伽が飛んでいて仏様がいるので、こちらは極楽図でしょうか。
左面胴羽目。雲の上に6人の王がいて、左端にお地蔵様、下は地獄の様です。6人の王はどういう意味でしょう?死者は10人の王に裁かれるという話は聞いた事があります。お地蔵様は見込みのある人を地獄から救い出すという話がありますね。
蟇股
蟇股には二十四孝に取材した彫り物がありました。1面に5つずつの蟇股が4面なので全部で20ある計算になりますが、「観音堂」と書かれた額に隠れていて見えない物が1つあります。
左面左端の蟇股。父が涼しく寝られる様に、扇で寝床を扇いだ黄香だと思います。ググるとリンゴの一品種が引っ掛かります。
左面左から二番目。親が蚊に刺されない様に、隣で裸で寝て蚊に刺されまくった呉猛。ググると中国出身の元プロ野球選手が出て来ます。
左面左から三番目。これは二十四孝の中でも割とメジャーで分かりやすい孟宗。筍好きな母のために真冬にある筈のない筍を探します。どうでも良い事ですが、私の道具は孟宗竹から作るので親近感が少しだけあります。少しだけです。
左面左から四番目。歯が無くて食べ物を咀嚼できない義母のために乳を与える唐夫人。初めてこれを見た人は皆ギョッとする様です。私もそうでした。。。
左面五番目。五十歳を過ぎて妻子や職をかなぐり捨てて、幼い頃に生き別れた母を探す朱壽昌。彼の親孝行はこれから始まります。
正面左端は、高い身分で使用人が沢山いるにも関わらず、母親の下の世話を自分でした黄庭堅。見ると指を舐めています。屎尿の味の変化で健康状態を確認しているのでしょうか。私には到底真似できません。
正面左から二番目。皇帝でありながら母の食事の給仕や毒見をした漢文帝。自分の方が毒殺される可能性が高いだろうに、と思います。
正面左から扁額を挟んで四番目。なぜ突然雷神が?と思いましたが、他にも2枚組の彫り物が有ったので、これも多分2枚組で、扁額の裏に王裒がいるのだと思います。王裒は雷嫌いだった母の為、その死後も雷が鳴ると母の墓に駆けつけました。
正面の一番右は二十四孝の一番人気を争う大舜。舜は自分を殺そうとまでした父母弟に孝行を尽くしたので、象や鳥が畑仕事を手伝ってくれて、しまいには皇帝になりました。
左面に移ります。一番目は自分を虐めた継母を庇って、離縁しない様に父に頼む閔子騫。一瞬、禿げているのかと思って写真を拡大して見たら、土埃が積もっているだけの様。よく見るとお父さんお母さんの頭にも積もってます。
右面の二番目。老いた母を養うために口減らしに子供を埋めようとする郭巨。その孝行心に感じた天は黄金の(詰まった)釜を授けました。なんか釜から湯気が立ってて「いただきます」ってやってるみたいです。
三番目は虎です。二十四孝で虎と来たら、我らが楊黄。大舜と共に一、二を争う人気。
山で虎に出くわして「私を食べて父を助けて」と天に祈ったら虎は行ってしまった、という話にも関わらず、楊香が虎と格闘している事が多いのですが、ここでは原作通りお祈りをしている様です。
ここでも蜘蛛の巣に引っ掛かってしまい、胴羽目彫刻3〜4枚撮るくらいの時間を費やしてしまいました。
右面一番右の蟇股は、亡き母に見立てた人形を拝む丁蘭。忌々しく思った妻は人形に針を刺したり火を近づけて焦がしたり。怒った丁蘭は人形を大通りに置いて三年もの間詫びを入れる事を妻に強要する、という極道旦那の話です。関係無いですが、イランの首都テヘランは漢字で丁蘭と書きます。
裏面一番左は、父と継母に嫌われながらも孝行を尽くした王祥。真冬に生魚が食べたいという母のために湖に来たが一面に氷が張っていて魚は取れなかった、王祥が服を脱いで伏していると氷が融けて魚が二匹取れ、それ以来毎年冬になると同じ場所に人型が現れる、という怪談話。
二番目は、お呼ばれした袁術の家でオヤツに出た橘(みかん)を母のために隠し持って帰ろうとしたが、見付かって咎められる陸績。おや?もうすでに蜜柑が剥いてあります。「これは何だ?」と咎められた陸績は皮を剥いて「ええと、、、これは蜜柑ですね」とトボけたのでしょうか。
三番目は蔡順。桑の実を熟れた物と熟れてない物に分けていたら「何してんの?」と盗賊に尋ねられ「熟した物は母に、熟していない物は自分にと分けているのです」と答えた。盗賊は感動して米と牛の足を置いて行った、という話。
後もう一息です。。。
四番目は病気の父の便を舐めて死が近い事を悟った庾黔婁。自分が身代わりになる事を北斗七星に祈ります。
最後は裏面一番右の蟇股。あんまり自信がないのですが、これは姜詩かと思います。姜詩は母に綺麗な水と魚を与えるために毎日遠い川まで奥さんを歩かせています。ある日、家の脇に綺麗な水の川が流れ出し、魚も獲れる様になりました。姜詩の孝行心に感じた天の恵みです。
普通、姜詩は水辺で水を汲む奥さんが描かれますし、老母の他に人物が二人いるので張孝兄弟と迷いましたが、左端の人が女性に見えるので、姜詩と判断しました。
去年、千葉の府馬愛宕神社や飯高神社を回って二十四孝は26話全てマスターしたと思いましたが、時が経つとマイナーな話は忘れてしまいますね。一応確認したつもりですが、間違っていたらご一報ください。
御本堂脇の東照山王権現、他に鬼子母神堂や仁王門、鐘楼堂、地蔵堂にも見事な彫り物があったので、次回紹介します。
刺青師・龍元
126-01(2021.10.11)
コメント
24考の蛙股、見応えがありますね!!
下から5枚目は
右ひじ辺りを『蚊に刺されて痒いのでかいている』 呉猛 かと思いましたが、
頭の横に鯉がいましたね、王祥 ですね、
こちらもまだ未訪問ですが、建物が多い様なので
ここだけでかなり時間が掛かりそうですね。
久しぶりに二十四孝2軍3軍選手に出会ったので全部 Wikipedia で確認したのですが、いくつかここの貫主さんの解説と違うものが有ったので、もしかしたら私が間違っているかも知れません。
ここは確実に一時間超コースですね。典型的な観光寺院です。デートしてるカップルや家族連れがいましたよ。駐車場も広くてクレープ屋さんのバンが居ました。コロナが無ければ、いつも混んでるんだろうと思いました。
写真が感動レベルに鮮明ですね。お寺のHPの解説は何点か怪しい箇所があるので数年前にメールで指摘させていただいたのですが華麗にスルーされました。観音堂の額、ちょっとだけ外してもらえないかな~と思いますね。
写真をお褒めいただき有難うございます。
小心さんがそう言うのであればお寺の解説が間違っているのでしょうね。ホッとしました。きっと貫主さんはメールとか見ないんでしょう。で、配下の人たちは報告すると後が面倒臭いって感じで握り潰してしまったのでは、と推察します。
額を外して貰えたら、どんな王裒が現れるのか興味深々ですね。
onijiiです。
写真が綺麗ですねえ。素晴らしいですね!
閻魔大王の肝臓には大笑い。
牛頭と馬頭なんですか!単に鬼と思ってました。
二十四孝は、確実に分かるのは5、6点です。
知らないことばかりで、本当に勉強になります。
ありがとうございます。
嶋村円鉄の漫画チックな作風が好きで、あちこち
見に行きました。(笑)
写真をお褒め頂き有難うございます♪
牛頭馬頭は鬼の原点らしいですよ。
二十四孝は、記憶に定着する様に面倒でも内容を書く様にしています。
初めて見た人にも二十四孝の面白さが伝われば良いんですが。
円哲の彫物は彩色と相性が良いですね。
彩色の上手下手に影響を受けてしまいますが。
陸績の床に落ちているミカンは、白で彩色するとミカンの皮になりますが、
本来は「葉っぱ」として緑で彩色すべきではないかと思うのですが、どうなんでしょうね。
そう言われると確かにそうですね。
思いもよりませんでした。
さすが小心さんですね。
彩色彫刻は塗師の方が重要かも知れませんね。
話を知らない人が塗ってとんでもない事になってる彫刻を見掛ける事があります。
でも、これはこれで面白いと思います。