令和七年一月中旬 茨城県土浦市の鹿島神社に参拝しました。

非常に簡素な造りの拝殿です。

拝殿の背後には 縁下がコンクリート造りの御本殿が鎮座していました。

コンクリートは頑丈ではありますが 耐用年数5〜60年程。きちんとメンテナンスをすれば100年位はいけるらしいですが 木造と比べるとやっぱり短いですね。

向拝の龍です。


扉脇には鶴亀と仙人の彫り物がありました。

仙人は馬師皇です。

馬の名医でしたが その名声が天まで届いて 龍が診てもらいに来たと云います。

『馬師皇に支那太古黄帝の時の馬医なり。克く馬の形氣を以てその死生を知り克く之を治す。後龍の下向するあり。耳を垂れ口を張る。師皇見て曰く此龍病ありと その辱下ロ中に針し 甘草湯を取つて之に飲ましめしに忽ちにして愈え一日にして去るといふ。狩野芳崖 橋本雅邦等の筆あり。(画題辞典 斎藤隆三)』

『馬師皇は支那太古黄帝の時の馬医で 仙術を得たる人。克く馬の形気を見て その生死を知つたといふ。その竜に負はれて登仙する処 古画に現はる。出処は列仙伝である。(東洋画題綜覧 金井紫雲)』

右面です。

胴羽目は二十四孝の一に数えられる唐夫人。

唐夫人は 歯が全て抜けて食事を摂ることができなくなった姑に自分の乳を与えた と云います。

『唐夫人は姑長孫夫人 年たけ よろづ食事 噛に叶はざれば 常に乳をふくめ 或は朝毎に髪を梳り 其外よく仕へて数年やしなひ侍り(東洋画題綜覧 金井紫雲)』

「ねえバァバ 僕にも残しといてよね」

見る人皆ギョッとするかニヤニヤ。
中国でも 二十四孝を知らない一部の人からは「不快だ」「理解できない」と物議を醸しているそうです。
そこを乗り越えると また違った風景が見えて来ると思うんですが。

背面には 残念ながら彫り物は無し。

左面です。

胴羽目は二十四孝の一に数えられる大舜。

舜は彼を殺そうとまでした実の父と継母らに孝行を尽くした。その徳によって 彼が耕す地には象や鳥が来て助け 最後には帝の位を譲られた と云います。

『大舜はひたすら孝行をいたせり。ある時暦山といふ所に耕作しけるに かれが孝行を感じて大象が来つて田を耕し 又鳥飛び来つて田の草をくさぎり 耕作のたすけをなしたるなり(東洋画題綜覧 金井紫雲)』

桐の花があるので これは正真正銘の鳳凰。象が幾分小さく見えるのですが 鳥がこれなら心強いです。

私の統計では大舜は頻出3番人気。唐夫人は5番です。因みに1番2番は 楊香 郭巨 4番は孟宗です。

雨ざらしなので劣化が気になりました。長くは保たないと踏んでのコンクリ縁下なのかも知れません。

刺青師・龍元
027(2025.04.22)
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