令和五年七月中旬 群馬県桐生市の赤城神社に参拝しました。
道路から石段を22段登った所に石鳥居があります。
さらに石段を44段登った広場正面に拝殿があります。
って段数は「群馬県近世寺社総合調査報告書」からのパクリで 私が実際に数えた訳ではありません。
智明上人(1173-1248)が雨乞いの為に赤城沼の明神を勧請
寛延年間中(1748-51)現在地に遷座
明治四十一年(1908)吾妻神社 その末社稲荷神社 琴平神社を合祀
御祭神 大穴牟遅神 倉稲魂命 他
屋根だけの覆屋が掛かった御本殿が鎮座しています。
木と鉄骨で組まれた屋根は頑丈そうでしたが すでに御本殿はかなり寂れています。
背面です。
胴羽目は月に兎です。
左面です。
胴羽目は鶴亀。こちらも損傷激しく 鶴の頭は欠損。亀の頭はスライスされてしまってます。
手を抜いたつもりは無いのですが 撮った写真の半分以上がボケボケ。
ひどいピンボケになってしまって 何が彫られていたか良く分からないので載せませんが 調査報告書によると脇障子には鯉の滝登りと滝と波があった様です。
村の歴史を語るという意味で 重要な建物なのだと思います。
刺青師・龍元
080(2023.08.02)
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