令和五年四月下旬 山梨県韮崎市の武田八幡宮に参拝しました。
弘仁十三年(822)勧請
残念ながら 御本殿に彫り物は無し。
でも大棟鬼板に鬼面がありました。右側は阿形。
左側は吽形です。
ここのお目当ては 八幡宮御本殿から左へ50mほど行った所にある境内社。
「熊に注意」の看板に怯えながら進むと 見えて来ました。
鎮西八郎源為朝を祀った神社です。
為朝神社
元暦元年(1185)武田信義が社殿を建立
文化十三年(1816)深沢文兵衛源直房等が再興
天保十二年(1841)源為朝像製作
源為朝は 乱暴狼藉のために13才の時に勘当されて九州へ追放されるが 僅か3年のうちに(16才!)九州を平定してしまう という凄い豪傑ですね。5人張りの強弓の使い手だったとされます。
疱瘡除けの神さまとして各地に祀られます。
ちょっと浮かない顔の為朝像。これも200年近く前に作られた様です。
為朝像の左側には御本殿が鎮座しています。
向拝中備は獏。
四月下旬の午後4時過ぎ。覆屋の中はかなり暗いので 写真はPCで補正してます。
右側脇障子は唐子。
現地ではよく見えなかったので分かりませんでしたが 二人とも鬼面を手にしている様です。覚えている限り見たのはこれが初めてです。
正面扉は後補でしょうか。身舎より前にせり出しています。
胴羽目は唐子の相撲。
背面です。
棟梁 甲西落合村 深沢文兵衛源直房 と銘が彫られています。源氏の直系子孫らしいです。
胴羽目。これは何でしょう?
ダルマがあるので禅に関係した話なのかな と思いました。
犬と禅でググると 「趙州狗子」とか「狗子仏性」とか出て来ます。
趙州従諗という禅師が「犬に仏性はあるか」と問われて「無」と答えた なんて話ですが 何が何やらさっぱりです。
犬の尻尾の上には鳥がいます。
このオジさんもサッパリ分からんって顔をしていますが 手元を見ると 元々何かを持っていた感じです。
まあ「下手の考え 休むに似たり」とも言いますから どなたかご存知の方に教えて頂けるのを期待して 左面に行く事にします。
〜追記(2023.06.11)
為朝神社は疱瘡除けの神様として信仰されましたが、江戸時代には、疱瘡に罹患した児童への見舞い品として「病が『軽く』済むように」ということから達磨や犬張子といった紙製の張り子玩具を送る習俗がありました。
胴羽目には、病気の際に頭に巻く病鉢巻をした児童が笑顔で表現されていることから、疱瘡に罹患した児童が回復し、贈られた玩具に囲まれている場面を表現したものではないかと思われます。
一魁斎さんよりご教示頂きました。参考リンクがコメント欄に有るので興味のある方はご覧下さい。追記終わり〜
胴羽目は唐子の漁り。背面にもありましたが どこぞの愚か者が落書きをした様です。元々は覆屋が無かったのかも知れません。
今の今まで 漁りって思い込んでましたが どこにも魚がいません。
まさか藍染をしているなんて事はないと思いますが。。。
どうなんでしょう?
脇障子。
こちらは弓を持っている唐子と 竹馬遊びをしている唐子。
だいぶ暗くなって来たので この日はここで切り上げました。
最後に相応しい 見応えのある神社でした。
刺青師・龍元
063(2023.06.08)
コメント
おはようございます。
胴羽目背面の題材ですが、御祭神の源為朝は配流先の八丈島で天然痘をもたらす疱瘡神を退治したという伝承があり、江戸時代には疱瘡除けの神としての信仰がありました。
続いて、疱瘡に罹患した児童への見舞い品として「病が『軽く』済むように」ということから達磨や犬張子といった紙製の張り子玩具や、疱瘡神が嫌うとされる朱色でそれらの玩具の絵を摺った疱瘡絵を送る習俗がありましたが、彫られている内容とも一致することや、病気の際に頭に巻く病鉢巻をした児童が笑顔で表現されていることから、疱瘡に罹患した児童が回復し、贈られた玩具に囲まれている場面を表現したものではないかと思われます。
参考
https://www.eisai.co.jp/museum/history/0700/sub0102.html
http://history.hanaumikaidou.com/archives/8415
一魁斎さん こんにちは
なるほど、これは張子の犬なんですね。為朝を描いた疱瘡絵は知っていましたが、達磨と犬張子などの玩具を擦った絵というのは初めて知りました。
それにしてもこの鉢巻のオッサンが子供というのは正直驚きです。そう思って見ると確かに子供です。
ご教示ありがとうございます。