令和六年九月下旬 秋田県美郷町の日吉神社に参拝しました。
慶長三年(1598)創建
明治二十三年(1890)現拝殿再建
明治三十三年(1900)現本殿再建
御祭神 大山咋命
日吉神社 其の一 の続きです。
右面です。
胴羽目は 楠正成正行父子の櫻井駅の別れ。
湊川の戦いに赴くにあたり 死を覚悟した正成は 嫡子・正行に「お前は身命を惜しみ 忠義の心を失わず いつの日か必ず朝敵を倒せ」と諭し 帝より賜った菊水の紋が入った短刀を授けて今生の別れを告げた という話。
巻物バージョンと短刀バージョンがありますが これは正行の懐の辺りに短刀らしき物があります。
イェイ
脇障子は日吉神社の使いの猿です。猿が捉まっている木は桜ですね。
背面です。
胴羽目は唐獅子牡丹。
左面。縁下にはぐるりと 波に兎 があります。
胴羽目は 重盛諫言。
平家打倒を企む俊寛・藤原成親・西光法師らの陰謀を知った平清盛は 後白河院もこの企てに加わっているとして 院の御所に軍勢を差し向けるつもりであった。。。
それを聞きつけた清盛の嫡子・重盛は 臣下の道を守るべきであるとして「どうしても院を攻めると言われるならば まず自分の首をお刎ねください」と涙を流して清盛を諌めた。
清盛の胸元には鎧が見えます。
「衣の下から鎧が見える」という言葉は 武装していた清盛が 烏帽子直衣姿の重盛に 鎧姿を隠そうと慌てて衣を上からまとった事から来ているそうです。
脇障子の神猿。
さて軒下に目をやると。。。
お待ちかねの力神さまです。
黙って四方を睨む 四人の力士。
吽形です。
正面右側の軒下。
こちらは片膝を立てた阿形。
阿吽とは物事の始まりと終わりを表します。
特に決まっている訳ではない様ですが 右側に阿形 左側に吽形が来る事が多いようです。
右後ろの軒下。
吽形ですね。
この旅の目的の半分は この軒下に鎮座する力神さまです。
関東の力神さまとは ひと味もふた味も違います。
百年以上 ここで屋根を支えています。
東北人の忍耐を象徴している様です。
左面後ろの力神さま。
こちらの力神さまは 目を見開き唇を噛んで こらえています。
相当重たいのでしょう。
田園風景の中に溶け込む様な 日吉神社でした。
刺青師・龍元
085-02(2024.11.04)
コメント
onijiiです。
待ってましたー!
インパクトありますねえ!!
圧倒的な存在感、凄いです!!!
胴羽目より目立っているような?
鮮明な写真ありがとうございます。
直ぐにでも行きたくなります。(笑)
お待たせしましたー!
やっぱり秋田の力神さまは迫力が違いますね!
これから力神さまのある神社が続きます。
お楽しみに!