令和元年長月吉日、埼玉県上里町の金窪神社を訪れました。
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由緒
大永五年(1525)金窪城主斎藤盛光が鎌倉の鶴岡八幡宮より城内に勧請
天正十年(1582)落城とともに消失
元和年間(1615〜24)村民により現在地に遷座
明治四十四年(1911)地域の十一社を合祀、八幡神社の社号を金窪神社と改めた
御祭神 誉田別命
彫刻は元々東京の湯島天神に設置予定だったもので、明治中頃に製作された
南向き
本殿東面
犀には火除けの効験があるとされているので、木造の神社仏閣では良く見る意匠です。
本殿背面
鷹に合わせてあるこの花は何でしょうね。
本殿西面
逆光だとレンズに光が入ってしまってうまく撮れない。レンズフードが必要だな。
こちらの尾長鶏に合わせてある花も何だろう。鷹に合わせてあった花とは違う花のようです。
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刺青師・龍元
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