刺青図柄の意味 石川五右衛門

忍術を使って退散する石川五右衛門 刺青図柄解説
忍術を使って退散する石川五右衛門
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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石川五右衛門

ルパン3世でお馴染みの石川五右衛門ですが、ご存知の通りこれにはモデルがあります。富めるものから奪い、貧しいものに与えたと言われ、安土桃山時代に都市部を中心に荒らしまわったとされる、義賊で大泥棒の石川五右衛門です。

石川五右衛門
生年不詳-1594 安土桃山時代の大泥棒
幼名: 捨若丸、五郎吉など

実在しました

この時代に盗賊一味が捕らえられ京都三条河原で公開処刑にされたという事が記録に残っていて、実在したとされていますが、諸々の説話は全て後世の創作と言われています。江戸時代には浄瑠璃や歌舞伎の演目として人気を博しました。

その中の一つに、五右衛門は豊臣秀吉に亡ぼされた明智光秀の遺児であって、秀吉に復讐を企てるが、最後は秀吉の手勢に捉えられ、京都三条河原で子と一緒に釜茹でにされるという話があります。釜茹でにされる時に自分が息絶えるまで子供を持ち上げていたとされる場面を描いた浮世絵は有名ですね。

他にも伊賀流忍者の抜け忍であるとするもの、丹後国の豪族である石川氏の出だとするものなど、浄瑠璃・歌舞伎から落語や現代小説・漫画まで色々な伝説があります。

公家姿で足利家の屋敷に乗り込んだ石川五右衛門がその正体を見破られ、忍術を使って退散する場面。

忍術を使って退散する石川五右衛門
忍術を使って退散する石川五右衛門

刺青師・龍元

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