令和三年九月下旬、栃木県市貝町の日枝神社と熊野神社に参拝しました。
熊野神社は日枝神社の境内社の様ですが、地図には両社の名前が載っています。御本殿・拝殿も一つづつあり、両社ともそれなりの大きさですが、鳥居は一つです。
日枝神社
永久年間(1113~18)創立
久寿二年(1155)現在地に勧請
安永八年(1779)現本殿完成
御祭神 大山咋命
立派な御本殿です。
向拝の龍。
脇障子には亀仙人の盧敖。
御本殿の右側には建物があって、胴羽目の正面から見る事は出来ませんでしたが、お釜が見えるので、これは母を養うために口減らしに我が子を埋めようとする、二十四孝の郭巨だと思います。
裏へ廻ります。隣の建物はこんな感じで建っています。その隙間20cm程。いくら私がヘンタイでもこの隙間には入れません。
後ろから見た御本殿右面。
背面胴羽目は地紋彫りでした。
御本殿左面。
力神さまが屋根を支えています。
胴羽目はこちらも二十四孝から。山で虎に出くわし「私を食べて父を助けて!」と虎の前に立ちはだかる楊香。
脇障子には鶴仙人。黄鶴仙人か費長房か。
斗栱からは龍の尾垂木が伸びています。
海老虹梁はありませんでした。
熊野神社
熊野神社の拝殿は日枝神社の拝殿と渡り廊下で繋がっています。少し小さめ。
長歴二年(1038)創立
享和元年(1801)現本殿再建
明治三十年(1897)現地に移転
御祭神 伊弉冊命 速玉男命 事解男命
こちらも私にとっては大きい部類の御本殿です。
右面胴羽目。画題は、、、解りません。花見をしている様です。
〜追記(2021.11.11)これがそうなのかは確信はありませんが、三国志演義にこんな話が出てきます。
十九歳になる若者が管輅にあと数日で死ぬことを告げられる。
「桑の木の下の碁を打つ老人二人をもてなして寿命を延ばして貰うように頼め」
若者はすがる思いでその老人二人と会い、管輅に言われた通りに酒や肴をもてなし、寿命を延ばして貰うように頼んだ。その老人達は困った顔をしたが
「もう馳走になってしまった」
と懐から帳面を出し、若者の名が書いてある頁の十九と書かれた所に九を加えて九十九とした。すると若者は数日経過しても死ななかった。その老人達は死を司る北斗と、生を司る南斗であったのだ。 追記終わり〜
脇障子は元々無いのか欠損してしまったのか。
背面胴羽目はこちらも地紋彫り。
左面胴羽目。こちらも画題は判りません。
向拝はあっさりしています。こちらも海老虹梁がありませんでした。
一粒で2度美味しい、良い神社でした。
刺青師・龍元
137(2021.11.04)
コメント
onijiiです。
2社分なので、得した気分になりますね。
自分は力神に大喜びしました。(笑)
鬼面と聞いて、居ても立っても居られず、
芳賀町の星宮神社に行ってきました。
ギザギザ眉毛の素朴な鬼面がいました。
ありがとうございます。
市貝町の八坂神社も行ってきました。
雑草の棘のような種が全身に付着して、
取るのに難儀しました。(笑)
反対側の力神は写真が撮れなくて残念でした。
やっぱりダブルチェックは有効ですね。これからも心掛けます。
ああ、もうそんな季節なんですね。もうひと月以上寺社彫刻廻りには行ってないので、何処かに行きたくてウズウズしてます。