茨木童子(いばらきどうじ)
平安時代に大江山を根城に京都を荒らし回った鬼。酒呑童子の最も重要な家来であったとされる。
茨木童子には数々の異説や言い伝えがあります。
茨木市の伝承
茨木市の伝承によると、童子は16ヶ月の難産の末、生まれた時には髪は長く歯が生え揃い、すぐに歩き出して母親を鋭い眼光で睨み笑ったので母親はショックで亡くなったという。持て余した父親に捨てられた童子は髪結い床屋に育てられた。
床屋の仕事を手伝っていた童子はある日、客の顔を剃刀で傷つけてしまった。童子は慌てて指で血を拭ってその指を舐めたが、それ以来、血の味が忘れられず、客の顔を傷つけては血を舐める様になってしまう。とうとう床屋から追い出された童子は近くの小川に掛かる橋でうつむいていると、川面に映る自分の顔が鬼になっているのを発見した。
大江山の鬼退治
その後、放浪の末に酒呑童子の舎弟になり、大勢の鬼と共に大江山に巣食う様になるが、頼光と四天王らに成敗され、酒呑童子は首を切り落とされてしまった。
渡辺綱との戦い
命からがら逃げだした茨木童子が頼光四天王の一人 渡辺綱 に復讐を企てる、「一条戻橋」や「羅生門」の説話が有名。
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