令和元年長月吉日、千葉県白井市平塚の八幡大神社を訪れました。
鳥見神社から50メートルほど歩くと脇道がありました。案内板などはありませんが、地図によるとここら辺で脇に入った所にある筈。
(画像クリックで拡大画像が表示されます)

蜘蛛の巣に引っかかりながら、山道の様な参道を100メートルほど行くと鳥居が見えて来ました。


由緒
創建 不詳
慶応三年(1867)社殿建立
御祭神 誉田別命
彫師 北方村 後藤官司
南向き

正面
正面向拝には正八幡宮の社号額が掛かっています。

木階下羽目板には菊の花。浜床下には亀。

西面

木階の脇羽目には力神。これは珍しいかも。

胴羽目は猩々。

脇障子は鳥。何の鳥かな。椋鳥っぽい。

背面

胴羽目は 牛若丸。

東面

こちらも木階脇羽目に力神。

胴羽目には 鬼若丸。

脇障子。ますます椋鳥っぽいけど、正確なところは分かりません。

(画像クリックで拡大画像が表示されます)
いつも思うんですけど、神社の彫刻の並び方って誰が決めてたんですかね。もちろん施主なんでしょうけど、彫師はアドバイスとかしなかったのかな。牛若丸と鬼若丸で東西対にして背面に猩々を持って来た方がバランスが良いと思うんですけど。。。
それから猩々と牛若丸、鬼若丸が全く関連性が無いのも気になる、って彫師は絶対に思っていた筈。
施主と彫師の力関係なのか、私の知らない何かの意味があるのか。。。
刺青師・龍元
コメント