令和二年七月吉日、新潟県柏崎市の番神堂に参拝しました。
密蔵院を出て、国道8号を北上すると海が見えて来ました。私は刺青者なので日焼け大敵、海水浴なんて30年くらい行ってませんが、海を見るのは大好きです。
海沿いを番神岬までドライブ。番神堂に着きました。
御縁起
文永十一年(1274)日蓮上人が三十番神を勧請
明治四年(1871)番神町大火の際、類焼
明治十一年(1878)再建
彫師 出雲崎 原篤三郎
脇野町 池山甚太郎
直江津 彫宮
ウィキペディアによると、三十番神とは神仏習合の信仰で、日替わりで国家国民を守護する三十柱の神だそうです。宗派によって違うようですが、諏訪大明神とか住吉大明神とか八幡大菩薩とかが日替わりで守護してくれるみたいなので、便利ですよね。
でも、明治元年に神仏分離のため祭祀する事を禁じられたそうですから、この建物が建てられた明治十一年には神社として建立されたのか。それとも当時は凄〜くユルくて政府も気が付かなかったのか、黙認したのか。
屋根の上には鬼瓦。指もあります。ちょっと寄り目?
向拝には見事な彫り物がありました。写真では判りづらいですが、とても大きいです。
龍の裏には「〇〇 甚太郎作」と銘がありました。達筆です。
裏へ廻ると。。。
大きな御本殿は残念な事にガラスで覆われていました。
が、奥義を使ってなんとか撮影。
胴羽目は側面一枚ずつ、背面三枚、計五枚全て鳳凰でした。
非常に精巧な彫りです。鳳凰の尾っぽや葉っぱの質感が凄いです。
小川の表現も秀逸。
頭上遥か上にあるし、しかもガラス越しなので実物はあまり良く見えないのが非常に残念です。
上部の梁の上には龍がいて、その上には鶴がいました。
縁下組物の間には亀。あろう事か組物は落書きだらけでした。見ると「昭和十八年三月参拝記念」だとか「一九五〇年 〇〇高校 〇〇」だとか。いつの時代も不届き者がいる様です。
ガラスの覆いは平成二年に作られたそうですが、これじゃぁ仕方ないよね。ガラス越しにでも鑑賞できるだけ良しとしなくてはいけない様です。
とって良いのは写真だけ。残して良いのは足跡だけ。もちろん、彫り物の上ではありませんよ。
刺青師・龍元
161(2020.07.30)
コメント
onijiiです。
おお素晴らしい!
指付きの鬼瓦最高ですね!!
面構えがたまりません!!!
彫物は超絶技巧、まさに神業ですね!
丁寧に、丁寧に、長い時間をかけて!!
素晴らしい作品を拝見しました!!!
肉眼で鑑賞できないのが本当に残念でした。でもあの落書きを見ちゃうと、ガラスで囲ってしまうのも仕方ないです。
鬼瓦は、あのちょっと困った様な顔がたまりません。