刺青図柄の意味 弟橘姫(おとたちばなひめ)

弟橘姫 神話
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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オトタチバナヒメ

東方征伐(蝦夷討伐)に随行した、ヤマトタケルノミコト(日本武尊・倭建命)の妃

表記

日本書紀   弟橘媛
古事記    弟橘比賣命
常陸国風土記 大橘比賣命 橘皇后

東方征伐

タケル一行が東征の際、船で走水(はしりみず・現横須賀市)の沖に差し掛かった時、海が荒れ狂い、船は木の葉の様に翻弄された。

日本書紀では
「こんな小さな海など一跳びだ」
と豪語したタケルの言葉が海神の怒りをかったと記される。

「私は夫である皇子の身に替わって海の中に入ります。どうぞ皇子の東征を護らせ給え」
弟橘比売命は海神の怒りを鎮める為に海に身を沈めた。

その時
「さねさし 相武の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」
(相武の野で火攻めにされたとき、その火の中で、私の無事を貴方は何度も問い重ね心配してくださいました)
という歌を詠んだと古事記には記されている。

すると、荒れていた海は俄かに鎮まり、船は進むことが可能になった。

無事に陸に上がったタケルは妻の影を求めて何日も彷徨い、「吾妻はや」と嘆いた。日本の東部を「あずま」と呼ぶのはこの故事に因むといわれる。また、この時のタケルの心情を歌った和歌
「君さらず 袖しが浦に立つ波の その面影をみるぞ悲しき」
の「君さらず」が木更津の地名の由来になったという説がある。

刺青図柄としての弟橘姫

記紀では単に海に身を沈めるだけだが、刺青図柄では通常、短剣を手に龍に立ち向かう姿の弟橘媛が描かれる。

弟橘姫

Wikipediaによると、千葉県茂原市の橘樹神社の御由緒には、弟橘比売命がタケル
「弟橘媛が尊に申し上げたことは、君公の佩せ給へる御劔は、むかし素戔嗚尊大蛇の尾より切出したまふ宝劔なれば、悪神龍御船を覆し、宝劔を奪んとして起こる所の暴風ならん、吾宝劔と君とにかわり、海中に入りて悪龍を退治し、君公と宝劔を安泰ならしめ、又天下後世の人をして渡海風波の難を救ひ、永々海中の守護神となるべし」
と申し上げた、とある。

刺青師・龍元

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