刺青図柄の意味 山本勘助

山本勘助の猪退治 武者絵
山本勘助の猪退治
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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山本勘助

1493/1500 -1561 戦国時代の武将
武田二十四将 武田五名臣に数えられ、軍師として名を馳せた。

長い間その存在が疑問視されていたが、近年、山本寛介という名に宛てた信玄の書状が複数発見された。しかし実在する事が確認された現在でもその生涯は謎に包まれている。

伝承

甲陽軍鑑によれば、若い頃の勘助は諸国を遍歴、兵法を学び、37歳の時に今川義元に仕官を願うが叶わず、駿河の地で浪人のまま9年間を過ごしたという。

1543年、勘助の築城術の評判を聞いた甲斐(現在の山梨県)の守護大名・武田晴信(後の信玄)が破格の待遇で勘助を迎える。

1561年、川中島の戦いで討ち死にする。享年69歳。

山本勘助の猪退治

山本勘助の猪退治

若い頃の勘助が猪に襲われ、片脚片目が不自由になりながらもその猪を退治した、という話が各地に残されている。

刺青師・龍元

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