前回・長沼八幡宮の続きです。
熊野神社
長沼八幡宮の左・西側にあります。
元禄十年(1697)勧請
享和三年(1746)現社殿建立
向拝虹梁上には龍と人物の彫り物が二つありました。これは左側。手には槌と鑿の様な物を持っているので、彫師を表現したものでしょうか。
右側にも似た感じの彫り物。こちらの人物は槌を持っていない様です。左手で龍の足を掴んでいる様な。。。
右面の妻飾り。画題は分かりません。大瓶束には獏鼻が付いてます。ここら辺の神社は獏鼻・獅子鼻・麒麟鼻がこの位置にある事が多い様です。
胴羽目。左端にいる女性は、侍女が丸いものを盆に載せているので西王母かもと思いますが、そうすると左がわにいる武人は誰?西王母が武帝に桃を授けたという話があるけど、武帝は武人じゃないし。。。という訳でわかりません。
背面にも彫り物がありました。右端は崩落中。
左側の胴羽目は、滝があるので李白観瀑と思います。
真ん中は梅と鶴をこよなく愛する林和靖。
左面妻飾りには二十四孝の大舜がありました。
左面胴羽目。これは何でしょう?二十四孝の黄庭堅か漢文帝かと思いましたが、これらは母に尽くした話で、奥に座っている老人にはよく見るとヒゲが生えているので違います。
二荒山神社
長沼八幡宮の右・東側にあります。ふたらさんと読みます。
元禄十年(1697)勧請
享和三年(1746)現社殿建立
左面妻飾りは雲龍で、大瓶束の龍頭につながっています。
左面胴羽目。今の今まで黄石公と張遼 張良と思ってましたが、よく見ると違う様です。靴も巻物も無い代わりに槌があって、下のかなりお年を召しておられる様に見える人は何かを振りかざしていて、あまり友好的な雰囲気ではありません。
〜追記(2021.04.01)どうやらこれ⇧は「魯般の雲梯」の様です。魯般とは中国春秋時代の魯の国にいた氏は公輸、名を般という大工です。楚国が宗を攻める時に天まで届く様な雲梯を作ったとされています。橘守国の絵本故事談という絵手本に下絵がありました。振りかざしていると思ったのは雲梯の梁を掴んでいたのですね。
追記終わり〜
右面。
梅と人物がいるのは、林和靖か菅原道眞しか知りませんが。。。これは違う様です。
〜追記(2021.04.02)これは道韞の「柳絮の才」の様です。
柳絮の才とは詠雪の才とも言って、文才ある女子をいう言葉だそうです。
『晋の時代、謝安が急に降り始めた雪を見て、この雪は何に似ているかと聞いたところ、甥の謝朗は「空中に塩を蒔いたようだ」と言い、姪の謝道韞は「白い綿毛のついた柳の種子が風に舞い散るのには及ばない」と答えた。謝安は姪のことばに感心し、「柳絮の才高し」と言った』という故事に基づく言葉です。
困った時の守国だのみです。追記終わり〜
背面。
鯉に乗る琴高仙人。
うちわ仙人。どこかでお見かけした事がある様な。。。お名前は存じ上げません。
亀を乗り回す盧敖仙人。またの名を黄安仙人。
二社とも側面が難解でした。勉強します。
刺青師・龍元
237−02(2020.10.25)
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