令和七年一月中旬 茨城県鉾田市の厳島神社に参拝しました。

窪地に弁天池があり 出島状に社殿が鎮座しています。

承暦二年(1078)或いは文永二年(1265)創建
元禄八年(1695)現本殿起工
元禄十年(1697)現本殿竣工
御祭神 市杵島姫命

玉垣の中 御本殿の三方を囲む様に 木製の枠が設置されていて 一番上の段にはプラ板?ガラス板?が嵌め込まれています。

向拝柱の龍が有名らしいですが そこは華麗にスルー。
中備は二十四孝の郭巨です。

極貧に喘ぐ郭巨。

母を養う為に口減らしに我が子を埋めようとします。

すると 金の(塊が詰まった)お釜が出て来た という話。「神さま ありがとうございます!」

右側脇障子は楊香です。 楊香と父が山に行くと虎が躍り出て 今にも2人を食べようとした。楊香が「私だけを食べて 父は助けて下さい」と懸命に祈ったところ 虎は去り 父子共に命が助かった という話。

「あらまあ 急に出て来て びっくりするじゃぁないの」

横から見ると こんな感じ。

胴羽目は 老萊子。

両親に孝を尽くし 七十歳を過ぎても 嬰児の仕草で親に歳を忘れさせたらしいです。

忘れますかね?

背面はちょうど真ん中に柱が。。。

胴羽目は 母の木像を作って 生きている時のように尽くしたという 丁蘭。

恭しく食事を捧げる夫を見て 木像を忌々しく思った妻が 木像の顔を火で焦がすと 木像は腫れて血が流れた。2日経つと妻の髪の毛が全てなくなった。

驚いた丁蘭は木像を大通りに移し 妻に3年間詫びを入れさせた。

すると 木像は一夜にして元の場所に戻ったという。

孝行話は序段だけで 病的でサイコな奥さんが経験するホラー話から パワハラモラハラ旦那の話になり 結末は木像が移動するという超常現象の話で終わります。

左面。透明プラ板が上段だけというのは幸いでしたが やはり木の枠は邪魔です。

胴羽目は閔子騫。

継母は実子2人を愛したが 継子の閔子騫を憎み 冬になると実子には綿入りの着物を与え 子騫にはヨシの穂を入れた着物を与えた。

それを知った父は激怒し 継母を追い出そうとした。

「母上に去られては 3人の子供は凍えます。私1人が凍えていれば 弟2人は暖かいのでどうか離縁しないで下さい」 ← 母親が去っても去らなくても お父さんが温かい着物を与えれば 子騫は温かいのでは? 父親への当てつけか?

左側脇障子は 我らが大舜。

舜は 彼を殺そうとまでした実の父と継母らに孝行を尽くした。その徳によって 彼が耕す地には象や鳥が来て助けた という話。

池の中に鎮座しているからなのか 彫り物の表面がザラザラしている感じで 劣化が進んでしまっている様です。

素晴らしい胴羽目彫刻でした。
刺青師・龍元
014(2025.02.17)
コメント
「いばらきの装飾社殿(1991年)」に出てくる旧・鹿島郡旭村の厳島神社ですね。
「ガラスに杉花粉が着いていて見にくい」と書かれていましたが、
彫刻は結構見えるんですね。昔は下の段にもガラスが嵌ってたんでしょうかね。
現在の社殿の様子がよくわかる動画が大変ありがたいです。
いずれ参拝しようと思いました。
なるほど、彫刻のザラザラは花粉なんですね。
動画は自撮り棒とスマホで撮ってるので、実際に行くと感じが違うかも知れません。玉垣は高さ180cm位あった様に思います。