弁天池に浮かぶ二十四孝が施された社殿 [厳島神社] 茨城県

厳島神社御本殿 神社仏閣
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

刺青師・ 龍元をフォローする

令和七年一月中旬 茨城県鉾田市の厳島神社に参拝しました。

厳島神社鳥居

窪地に弁天池があり 出島状に社殿が鎮座しています。

厳島神社

承暦二年(1078)或いは文永二年(1265)創建
元禄八年(1695)現本殿起工
元禄十年(1697)現本殿竣工
御祭神 市杵島姫命いちきしまひめのみこと

厳島神社

玉垣の中 御本殿の三方を囲む様に 木製の枠が設置されていて 一番上の段にはプラ板?ガラス板?が嵌め込まれています。

厳島神社御本殿

向拝柱の龍が有名らしいですが そこは華麗にスルー。

中備は二十四孝の郭巨かくきょです。

二十四孝 郭巨

極貧に喘ぐ郭巨。

郭巨

母を養う為に口減らしに我が子を埋めようとします。

郭巨の奥さんと子供

すると 金の(塊が詰まった)お釜が出て来た という話。「神さま ありがとうございます!」

二十四孝 郭巨

右側脇障子は楊香ようこうです。 楊香と父が山に行くと虎が躍り出て 今にも2人を食べようとした。楊香が「私だけを食べて 父は助けて下さい」と懸命に祈ったところ 虎は去り 父子共に命が助かった という話。

二十四孝 楊香

「あらまあ 急に出て来て びっくりするじゃぁないの」

楊香

横から見ると こんな感じ。

厳島神社御本殿右面

胴羽目は 老萊子ろうらいし

二十四孝 老萊子

両親に孝を尽くし 七十歳を過ぎても 嬰児の仕草で親に歳を忘れさせたらしいです。

老萊子

忘れますかね?

老萊子の両親

背面はちょうど真ん中に柱が。。。

厳島神社御本殿背面

胴羽目は 母の木像を作って 生きている時のように尽くしたという 丁蘭ていらん

二十四孝 丁蘭

恭しく食事を捧げる夫を見て 木像を忌々しく思った妻が 木像の顔を火で焦がすと 木像は腫れて血が流れた。2日経つと妻の髪の毛が全てなくなった。

丁蘭とその妻

驚いた丁蘭は木像を大通りに移し 妻に3年間詫びを入れさせた。

二十四孝 丁蘭

すると 木像は一夜にして元の場所に戻ったという。

丁蘭の母を模した人形

孝行話は序段だけで 病的でサイコな奥さんが経験するホラー話から パワハラモラハラ旦那の話になり 結末は木像が移動するという超常現象の話で終わります。

二十四孝 丁蘭

左面。透明プラ板が上段だけというのは幸いでしたが やはり木の枠は邪魔です。

厳島神社御本殿左面

胴羽目は閔子騫びんしけん

二十四孝 閔子騫

継母は実子2人を愛したが 継子の閔子騫を憎み 冬になると実子には綿入りの着物を与え 子騫にはヨシの穂を入れた着物を与えた。

閔子騫の継母と異母兄弟

それを知った父は激怒し 継母を追い出そうとした。

閔子騫の父

「母上に去られては 3人の子供は凍えます。私1人が凍えていれば 弟2人は暖かいのでどうか離縁しないで下さい」 ← 母親が去っても去らなくても お父さんが温かい着物を与えれば 子騫は温かいのでは? 父親への当てつけか?

閔子騫と異母兄弟

左側脇障子は 我らが大舜たいしゅん

二十四孝 大舜

舜は 彼を殺そうとまでした実の父と継母らに孝行を尽くした。その徳によって 彼が耕す地には象や鳥が来て助けた という話。

大舜

池の中に鎮座しているからなのか 彫り物の表面がザラザラしている感じで 劣化が進んでしまっている様です。

厳島神社御本殿

素晴らしい胴羽目彫刻でした。

刺青師・龍元

014(2025.02.17)

コメント

  1. 小心 より:

    「いばらきの装飾社殿(1991年)」に出てくる旧・鹿島郡旭村の厳島神社ですね。
    「ガラスに杉花粉が着いていて見にくい」と書かれていましたが、
    彫刻は結構見えるんですね。昔は下の段にもガラスが嵌ってたんでしょうかね。
    現在の社殿の様子がよくわかる動画が大変ありがたいです。
    いずれ参拝しようと思いました。

    • なるほど、彫刻のザラザラは花粉なんですね。

      動画は自撮り棒とスマホで撮ってるので、実際に行くと感じが違うかも知れません。玉垣は高さ180cm位あった様に思います。

タイトルとURLをコピーしました