源太郎彫 三国志の英雄と仙人たち [町田坊観音堂 其の二] 群馬県

関羽雲長 神社仏閣
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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令和六年九月上旬 群馬県沼田市の町田坊観音堂に参詣しました。

天仁元年(1108)開基・創建
文政十三年(1830)焼失
天保三年(1832)現堂宇再建 本堂・庫裏は現存しない
昭和五十三年(1978)屋根を瓦葺から銅板葺に改修
彫師 小林源太郎正俊

町田坊観音堂 其の一からの続き 今回は外周組物間の彫り物と欄間です。

外周左面

組物間に四点 扉の上の欄間に二点 彫り物がありました。

町田坊観音堂

組物の間 一番左の彫り物は唐子と猪です。何か説話があるのかも知れませんが 分かりません。

唐子と猪

その右は 喧嘩をする唐子と 犬を抱えた唐子。

唐子の喧嘩 唐子と犬

その隣は 鶏と仙人らしき人。これは祝鶏翁しゅくけいおうかも知れません。

鶏仙人

祝鶏翁は支那の仙人 鶏を飼ひ一々これを呼べば 鶏よく命に応じて集る 鶏に関する好画題として画かる(『東洋画題綜覧』金井紫雲)

鶏仙人

1番右のこれは何でしょう?猿回し?

猿回し?

2点の欄間のうち左。これは何でしょう?

画題不明

左面と正面に 計4点ある欄間のうち 3点は三国志演義からなので これも三国志関係と思われます。

画題不明

右側の欄間。これは間違いなく関羽ですね。

関羽 二夫人を尋ねて廖化と遭う

葛飾戴斗かつしかたいと(北斎の弟子)の「絵本通俗三国志 二篇 八」に元絵がありました。

詞書には「関羽 二夫人を尋ねて廖化と遭う」と書いてあります。吉川英治の三国志を読み返すと こんなくだりがありました。

『関羽が曹操そうそうの元を去る時に 張遼ちょうりょうが追いかけて来たので 追手ではないか?と心配した関羽は劉備りゅうびのニ夫人の乗った輿を先に行かせますが 結局 張遼は追手ではなく 後から曹操が来て 関羽に餞別を渡したのでした。

しかし そうしてるうちに 先に行かせたニ夫人一行は行方不明。二十里あまり走って来て 関羽が辺りを見回していると 声がします』

関羽雲長

廖化りょうかと申します。山賊を生業としていますが 仲間が二夫人の車を拐って来ました。劉皇叔の夫人なりと伺って すぐ元の街道へ送り戻して差し上げようと 仲間を説得しようとしましたが叶わず やむなくその者の首を取って将軍に献ぜんが為に ここでお待ちしていました」

廖化

「では 二夫人は無事なのだな」

関羽雲長

「二夫人はあちらへおられます 従者の方から 将軍のご忠節を聞いて心服いたしました」

関羽 二夫人を尋ねて廖化と遭う

「二夫人のご無事はまったく貴公の仁助である」

関羽雲長

後に廖化は関羽の配下になります。

と かなりマイナーなエピソードですね。先日 胴羽目探求道の師の錺さんのブログで 丁度このシーンの前段の 関羽が曹操の客将になる場面の胴羽目があったので この前後の話を読み返したばかりでした。

正面左側

町田坊観音堂

組物間の彫り物。山羊がいますがどなたでしょう?黄初平なら山羊はもっと沢山いるはず。山羊仙人でググると沢山引っ掛かりますが どれも違う様です。

画題不明

その下の欄間は 寺社彫刻で頻出の 趙雲救幼主ちょううんきゅうようしゅ。 長坂の戦いで 趙雲は 警護していた劉備の妻子を見失ってしまいます。 

趙雲救幼主

「何の面目あってこのまま主君にまみえん?生命いのちのある限りは。。。」

趙雲救幼主

やっとの事で 劉備の妻・糜夫人びふじんと嫡子・阿斗あとを発見した時には 糜夫人は身に深傷ふかでを追って歩けない状態。夫人は阿斗を趙雲の手へあずけると みずから井戸の底へ身を投げてしまいます。

幼主阿斗(劉禅)

「若君のお身をつつがなく主君へお渡し奉るこそ大事中の大事」

趙雲子龍

こんなにまでして守ったのに。。。幼主阿斗は成長して暗愚の帝となります。一説には阿呆の語源とも言われます。 現代中国ではダメ男の代名詞だとか。

趙雲救幼主

正面右側

町田坊観音堂

組物間の彫り物は 唐子の蛇退治?

唐子の蛇退治

孫叔敖そんしゅくごうの双頭の蛇退治 かと思いましたが よく見ると尻尾も二つあるので これは双頭の蛇ではなく 単に二匹の蛇。

唐子の蛇退治

いよいよ お出まし。張飛大鬧長坂橋ちょうひだいどうちょうはんきょう

張飛大鬧長坂橋

長坂の戦いで 押し寄せる曹操軍の中 単騎 趙雲が幼君・阿斗を救出して劉備の元へ戻ると 今度は 張飛が長坂橋で追手の曹操軍を撃退します。

張飛翼徳

燕人張飛えんひとちょうひ これにあり!  俺と命がけの勝負をしたい奴はいるか!」

張飛翼徳

張飛は 銅鑼の鳴る様な大声で曹操軍に向けて大喝します。

張飛翼徳

その声の振動で橋は崩れ落ち 河は逆流し始めた とする話もある程。

張飛大鬧長坂橋

何万人(文献によって5千人〜数万人)もいる曹操軍が張飛のこの一喝でビビります。

逃げる曹操軍兵士

外周右面

右面には 失われてしまったのか 欄間は無く 組物間に4点の彫り物がありました。

町田坊観音堂

まずは左から。 鉄椀から龍を呼び出す 陳楠ちんなん仙人。

陳楠仙人

兎と 子供をおぶる唐子?

兎と唐子

その隣は 瓢箪から駒。 通玄先生はいません。

瓢箪から駒

一番右の彫り物は 僧侶と二人の唐子と虎。

豊干禅師と寒山拾得

虎と僧侶なので これは豊干禅師ぶかんぜんじで間違い無いでしょう。

豊干禅師

こちらをよく見ると 右の唐子が巻物を持っていて その後ろに箒があるので これは寒山拾得かんざんじっとくです。

寒山拾得と虎

眠っていれば 四睡しすいとなりますが これは全員目を覚ましていますね。

鳥のフンで汚れていますが 籠を被せてしまうよりは遥かに良いですね。

寺社彫刻は 雨風や鳥糞に晒されてしまってますが いつでも誰でも そこに行きさえすれば 何回でも何時間でも 色々な角度から鑑賞できるのが良い所です。

源太郎の素晴らしい彫り物を 直に鑑賞できて幸せです。

刺青師・龍元

078-02(2024.09.22)

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