刺青図柄の意味 曚雲国師 (もううんこくし)

曚雲国師 (もううんこくし) 刺青図柄解説
曚雲国師 (もううんこくし)
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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曚雲国師

源為朝 の生涯を描いた曲亭馬琴の読本 椿説弓張月(1807-1811) 後半に登場する人物。

椿説弓張月(ちんせつ ゆみはりづき)

琉球国中山省に、人々に害をなす虬 (みずち 龍の一種) を退治して埋めた、と言われる虬塚があったが、尚寧王 (しょうねいおう) は「邪神を祀る祠には害がある」と言って、忠臣の反対も聞き入れず、塚を掘り返させた。

すると、轟音が轟いて柩は砕け散り、一かたまりの煙が立ち登った後には、錆びた金鈴を手にしてボロボロの衣を着た、鬼ともつかぬ老人が結跏趺坐 (けっかふざ 仏教で瞑想する際の座法) していた。

曚雲国師 (もううんこくし)
曚雲国師 現る

老人はこの塚の中で長らく虬の悪霊を鎮めていた神仙であると名乗り、尚寧王は老人を曚雲国師 (もううんこくし) と呼んで重用した。

ある日、曚雲は
「禍福は形が無いというが、出来るなら禍(わざわい)の形を見てみたいものだ」
という尚寧王の求めに応じて、牛と虎を合体させた様な怪物を出現させた。

自ら作せる孽は逭るべからず(自ら招いた禍は逃れる事は出来ない)。怪物は王に飛びかかり、そして王は事切れた。

尚寧王亡き後、曚雲は王の座に着き琉球を支配しようとするが、日本国からこの地へやって来た 源鎮西八郎為朝 (みなもと の ちんぜい はちろう ためとも) がその野望の前に立ちはだかる。

刺青師・龍元

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