令和七年三月上旬 群馬県みどり市の薬師堂に参詣しました。

創建年不詳
延享三年(1746)頃の彫刻と推定
明治三十六年(1903)堂宇建立
御本尊 薬師三尊像
彫師不詳
内陣には逗子があり 両脇に彫刻がありました。

数えると人物がそれぞれ五尊。なので この時は十王か何かと思いましたが ここは薬師堂なので 薬師如来を信仰する者を守護する十二神将かなとも思いました。
二尊足りないけど。。。
左側の板です。

上段左側の人。写真を良く見ると 頭に何か付けています。

十二神将は十二支に対応していますが 頭に十二支の面を乗せている事が多いです。こちら↓は東金市の布田薬王寺の十二神将。

その論で行くと これは猿っぽく?見えるので 安底羅大将かも?

その右隣。

これは鶏?いや鼠っぽいか? 鶏だとしたら迷企羅大将。鼠なら毘羯羅大将。

下段右側。やや!こちらの方が鶏っぽい?

なら こちらが迷企羅大将か?

下段中央の一尊。

もうこれは何だか見当も付きません。

下段左側の一尊。

どちら様でしょう?

逗子の右側の板。

上段左側の一尊。

これは鼠っぽい?鼠はさっきあった様な? 虎には見えないので兎という事にしよう。摩虎羅大将。

上段右側。

角があって牛っぽいから 招杜羅大将とします。

下段左側。

犬っぽい? 跋折羅大将?

下段中央。これは確実に頭に蛇を乗せてますね。

因達羅大将でしょう。

下段右側。龍かな?

波夷羅大将という事にします。

Wikipedia 十二神将のページによると「十二体の像の持物 ポーズ等は必ずしも一定の様式に基づくものでなく 図像的特色のみから各像を区別することはほぼ不可能である」そうです。
しかも「十二支の割り当ては諸説ある」とも。。。
その上 この彫刻には12尊居ないし。。。

なので 全く無意味な事を分かっていてやりましたが まあそういうブログなのでご容赦ください。
ちなみに『群馬県近世寺社総合調査報告書-歴史的建造物を中心に-寺院編』によると 御本尊の薬師如来と一緒に納められている 脇侍の日天月天の象にも十二支のうちの二が彫られてあって 十神将と合わせて12になるそうです。
ん〜 合わせて12になっても。。。日天月天は十二神とか十二天のうちの二尊で 十二神将とは別の護法善神ですね。
刺青師・龍元
035(2025.05.12)
コメント
瑠璃殿の紹介有難うございます。
地元でも知っている方はあまりいないと思います。
私も今回の調査で初めて知りましたが彫刻は素晴らしいですよね
彫工は時代からすると石原吟八の時代で、板橋伊平次、新井孫四郎、前原藤次郎等の頃でしょうが資料がなく全く不明です。
少ないので知らてはいませんが、彫工が活躍する頃の作品です。
ここから少し奥に入った菅原神社には驚くばかりの素晴らしい彫刻で飾られています。残念ながら普段は公開されていませんがお祭りの時には地元の方が来るのでチャンスです。今度私のブログにアップしたいと思っています、よろしかったら参考にしてください。
お詳しいですね。私は数だけは回っていますが、彫師や彫刻製作年代については良く分かりません。ただ見て回るだけです。
菅原神社は未参拝です。ブログ楽しみにしています。