芸術が香る [三輪神社] 長野県

三輪神社社叢 長野県
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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令和二年六月吉日、長野県茅野市の三輪神社に参拝しました。

三輪神社鳥居
三輪神社拝殿

御由緒

久寿年間(1154~56)勧請
文化元年(1804)本殿建築
文政三年(1820)拝殿建築
明治四十一年(1908)拝殿改築
彫師 大隅流 矢崎玖右衛門元形
御祭神
大国主命(おおくにぬしのみこと)
稲御魂命(うがみたまのみこと)
櫛玉命(くしたまのみこと)

三輪神社案内板

三輪神社なのに御柱が立ててあります。ここら辺では稲荷神社でも御柱を立てるらしいです。そう言えば、ここの前の瀬神社にも御柱が立ってたなぁ。

三輪神社

御本殿

案内板によると、彫師は矢崎玖右衛門元形。大隅流の始祖・柴宮長左衛門矩重(のりしげ)の弟子です。柴宮長左衛門矩重は千曲市の水上布奈山神社を建てた人ですね。

みんな名前が長いなぁ。しかも、良く変えるし、号だけでなく名前を全部襲名したりするから、誰が誰やら。。。おまけに読めない。。。

向拝

三輪神社御本殿向拝

水引虹梁の上には「寒山拾得かんざんじっとく」。

寒山拾得

名が残る人っていうのはやっぱり上手いです。

寒山拾得

左面

三輪神社御本殿

海老虹梁は「龍」。

海老虹梁の龍

二百年以上前の彫り物なのに、保存状態がすこぶる良いです。

三輪神社御本殿左面

案内板によると、「蜀の三傑桃園に義を結ぶ」、いわゆる「桃園結義」「桃園の誓い」の場面です。〜追記(2020.11.23)これは単刀赴会(単刀会)という関羽が呉の魯粛という人物と会談した場面だそうです。Kyoさんにご教示いただきました。詳しくは下のコメント欄をご覧ください。追記終わり〜

桃園の誓い

脇障子は亀に乗る「盧敖(ろごう)仙人」。黄安と同一視されるそうですが、私は勝手に、亀に乗っているのを盧敖仙人、亀を見ているのを黄安仙人、という事にしています。どうでも良い事ですけど。。。

盧敖仙人

右面

三輪神社御本殿

大隅流の龍はクセがあってあまり好みじゃないのですが、この龍は好きですね。

海老虹梁の龍
三輪神社御本殿右面

案内板によると、「玄徳赤兎馬に鞭打って潭渓を越ゆる」となっていますが、これは「的廬(てきろ)」の間違いでしょう。三国志は詳しくないのですが、調べると赤兎馬(せきとば)は関羽の馬の様です。

的盧に乗る劉備玄徳

脇障子は鯉に乗る「琴高仙人」。

琴高仙人

背面

三輪神社御本殿背面

胴羽目は「黄石公と張遼→張良」。三枚の内、これだけ三国志から外れますね。中国の歴史物語という括りだからこれで良いのか。何にしても当時の人にしてみれば憧れだったんだろうな。

黄石公と張遼

「香高い芸術作品(案内板より)」でした。

刺青師・龍元

153(2020.07.20)

コメント

  1. 教団 より:

    おはようございます、Kyoです。

    以前三輪社のサイトを見て桃園結義と馬躍檀渓の彫刻が胴羽目部にあると認識をしていたのですが、龍元さんの投稿された画像を拝見して、私だけでなく神社側も誤認していることに気付きました。
    https://chinonet.net/miwa.html

    まず「蜀の三傑桃園に義を結ぶ」についてですが、こちらは桃園結義の場面ではなく、単刀赴会(単刀会)という関羽が呉の魯粛という人物と会談した場面になります。
    先日Twitterで言及したのでもしかしたら目にされているかもですが、長野県安曇野市の豊科郷土博物館蔵にて、彫刻とほぼ構図が酷似した単刀赴会の屏風が所蔵されています。彫刻では幕の近くで跪く人物が3人から1人に省略されており、左の人物が張飛のような像容ということもあり、桃園結義と判断されたのではないか…と推測します。
    彫刻に見える人物は、左より順に周倉、関羽、魯粛となります。
    https://twitter.com/Vitalize3K/status/1326900725708967938

    「玄徳赤兎馬に鞭打って潭渓を越ゆる」については龍元さんのご指摘通り、劉備が騎乗する馬は的盧です。ちなみにこの場面(玄徳馬躍檀渓)も人気のある題材だったようで、歌川国芳が浮世絵を描いたり、寺社彫刻や奉納絵馬に採られています。

  2. 龍元 より:

    神社・教育委員会が誤認している事は本当に良くありますね。それだけ難しいという事でしょう。

    ツイッターは拝見しました。まさしく同じ構図ですね。私は高崎の妙見社は未訪問なので、近日中に脇障子と合わせて良く観察して来ます。

    玄徳馬躍檀渓については、Kyoさんはご存知と思いますが、埼玉県越生町の津久根八幡神社にあるものと同じ構図だったので、あれ?と思い調べてみました。これの場合は、良く知っている人がうっかりミスをして確認を怠ったという感じがします。

    ところで薄々感じていたのですが、「黄石公と張遼」の張遼は三国志に出て来る張遼と同じ人物という理解で良いのでしょうか?

  3. 教団 より:

    こんにちは、Kyoです。
    21~22日に香川の寺社を巡りに出掛けていたため、お返事が遅くなってしまいました。申し訳ありません。

    現代は日本神話や日本の歴史、それを基にした物語、中国故事など馴染みがなくなりつつありますので、やはり彫刻などの画題の特定が困難なのでしょうね。

    近日中に妙見社に行かれるんですか!あの周辺にも様々な寺社彫刻が点在していますので、新たな寺社彫刻と出会えることをお祈りしております。

    「黄石公と張遼」についてですが、正しくは「黄石公と張良」です。張良と張遼は別の人物でして、350年ほど時代が異なります。簡単に説明をしますと
    ・張良(?~前186年)は中国 戦国時代末~前漢時代の人物でして、姓は張、名は良、あざなは子房。劉邦や「韓信の又潜り」でお馴染みの韓信と同じ時代に活躍した文官です。
    ・張遼(?~222年)が後漢末~三国時代の武将で、姓は張、名は遼、あざなが文遠。彼は劉備と同時代に曹操のもとで活躍した武将です。

    • 龍元 より:

      いえいえ、とんでもないです。

      高崎・前橋の辺りは都会なので車が停めにくいという事もあり、今まで避けてきましたが、良い神社が沢山あるようなので近々行こうと思っています。

      なるほど、別人なんですね。遼と良、どちらも見かけるので、どっちがどっちなのか、もしかしたら同一人物なのか、と悩んでおりました。

      ありがとうございます。勉強になります。

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